第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

第9回ミャンマースタディツアーに付いての感想。
大木 光章


ミャンマースタディツアーが皆様のご協力をいただき多くの感動と思い出を得る事が出来ました。又けが人もなく無事に帰国でき本当に有り難うございました。感謝感謝です。
Nihtweさん、八幡さん、帰国直前まで準備いただいた柴田さん有り難うございました。

私も今回の旅行を通じ多くの気付きを頂きました。
ミャンマー人の思考と上座部仏教の瞑想について。
 ミャンマーの人の85%は、上座部仏教を信仰しています。
上座部仏教は、日本の大乗仏教と違い「自己の修行により自己一人のみが救われる」という考え方です。『上座部仏教の教義では、限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ」である。この苦しみの原因は、こころの執着である。そして、こころの執着を断ち輪廻を解脱するための最も効果的な方法は、経典の学習、戒律の厳守、瞑想の修行であるとする。』
このように仏教徒は、毎日の生活の中で戒律を守り修行に励む事を根本として居ますがなかなか一般の人は戒律を守る事が出来ません。そこで僧侶(現実には仏教徒として戒律を守って生活し、信仰しているのは僧侶だけ)を尊敬してその修行を支える事で来世が約束されると信じている事実を知りました。(寄進とお布施する事が僧侶を支える事になり功徳を積んでいる事になる。)極端に言えば戒律を犯しても寄進、お布施を多くすれば戒律を犯す罪は無くなり来世が約束されると言う思考になっているようです。
 善悪の基準は、やはり人間性によるもので田舎の貧しい?純朴な人の方が純粋に人間としての価値観を(戒律を守る)がある様でまさしく日本の昔の価値観と同じ様に感じました。
 ミャンマーを旅して安らぎと親しみを感ずる事が出来るのは田舎の人々とのふれあいが同じ価値観である日本人として波長が合うからではないかと感じています。

 瞑想について
 私は。写真を撮る事に集中していてNihtweさんの説明を良く聞いてなく瞑想方法が間違っていたため瞑想でなく単なる苦痛の時間でしたがNihtweさんのお話を聞けば聞く程『瞑想』の重要性を理解する事が出来ました。瞑想は、痛み、睡魔、妄想、の現象、煩悩で苦しみ、執着心で自己を縛り付けている現在の自分自身の存在をめざめ、その現象を客観的にみるもう一人の自分を顕在化してSOMETHING GREAT との対話を通じて人間としての価値観、生き方を見つける事が出来る素晴らしい修行です。(ちょっと難しい!)
 世界中の人々が損得好嫌いの価値観からSOMETHING GREATの価値観に触れて、その価値観に沿った考え方で行動する事が出来たならば(他宗教も同じ事を伝えていると思いますが)争いの無い極楽浄土の世界が実現出来るのではと思えてなりません。

 少女の微笑み
マンダレーでの出来事です。市場で男の子を抱いた少女にあいました。
熊谷さんが少女を見つけ写真を撮って話しかけました。心優しい吉田さんは、持っていたキャンデーを男の子にあげました。その時の少女の仕草がとても印象的で思わずシャッターを切ってしまいました。岩田さんは、少女が見た事も無い物を貰い戸惑っている少女を見かねてキャンデーの包装を取ってキャンデーである事を説明して男の子に食べさせました。
少女は、男の子がキャンデーを食べる様子をみて微笑むのです。その微笑みその目は、母親が愛しい我が子に見せる眼差しでした。又、少女は、自分の分のキャンデーを食べようともせず男の子に持たせて、又微笑むのです。自分でもきっと食べたいと思ったでしょうがそれ以上に男の子の喜ぶ笑顔が彼女に取って喜びなのでしょ。ミャンマー人が持つ(昔の日本人も持っていた)素晴らしさを見つける事が出来ました。
 貧しいからこそ物の有り難さが分かり、人の優しさが分かるのでしょう。
人間に取って経済成長する事が良いかどうか疑問ですね。ミャンマーは、確実に経済成長して行きます。しかし経済成長して潤うのは、一部の階級の人ばかりでしょう。経済成長しても搾取される人たちは、底辺の人たちです。その人達こそ本当の意見での優しさを持っているのではないでしょうか。本当に困窮している人たちへの自立支援が必要ではないでしょうか。又押しつけの支援でなく多くの方に望まれる自立支援活動こそ我々が目指す支援活動であるとおもいます。
 日本の子供たちとミャンマーの子供たちにとって正しい成長を目指さないと国がダメになる様に思います。正しい価値観で活動を行い、真に両国に貢献できる活動こそ我々しか出来ない活動だと確信しております。崇高なる理念とその理念を具現化して日本の子供達にミャンマーを通して日本人が持っている素晴らしい心『慈しみの心』取り戻す活動をしていきたいとおもいます。皆さん色々と気付きを頂き有難うございました。
   
kansou1.jpg吉田さん岩田さんがキャンデーをあげる   “狃は、男の子を心配して?◆  |砲了劼良従陲飽多粥  


kansou2.jpg自分のキャンデーも男の子にぁ   |砲了劼隆遒咾我が喜び?ァ   ”呂靴ても心豊かな国 ミャンマーの笑顔

日本人が忘れている『慈しみの心』を見つける事が出来ました。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

 第9回ミャンマースタディーツアー
「スタディーツアー6日目(10月28日)」
山口 愛

 Aグループの私たちはミャンマーで残すところあと2日。Bグループとは今日10月28日でお別れです。比較的涼しかった北部からヤンゴンに戻ってきたせいか、陽ざしが強くとても暑く感じられました。
 今日は、ホテルの朝食に替えシャンヌードルで一日が始まりました。ミャンマーに何度も来られている方々のお話から、シャンヌードルがとても気になっていたのです。前日の夕食会でその話をしていたら、ガイドのスーさんと夕食会にお招きしたウイミンさんの娘さんが、声をそろえて「食べるべきですよ!」と。彼女たちがくれたお薦めの食堂の名前と「私はシャンヌードルが食べたい。」とミャンマー語で書かれたメモを頼りに食堂へ向かいました。出てきたのはそうめんのような細い麺に肉みそがのり、薬味とスープが別になった汁なし麺。薬味を入れ肉みそと絡めてミャンマー料理
いただきましたが、とても日本人の口に合う味付けでした。早朝からたくさんの人たちが食堂に集まり朝食をとっている姿はとても興味深いものでした。その中で確実にういている私たちのメモを見て、笑いながらオッケーオッケーと対応してくれた店員さんたちの温かさに心地よさを感じ、シャンヌードルもとても美味しく感じられました。
 2002年11月、今からちょうど8年前、ミャンマーを初めて訪問しました。カンボジアのついでにちょっと寄ってみようという軽い気持ちで訪れた4日間。しかしそこで受けた感動は、私の心の中に強く残るものとなりました。それはミャンマーの人々の純粋な心であり温かさでした。今回参加するにあたり、ミャンマーの人々に違った角度から触れ、その背景にあるものを少しでも理解することができたらと思いました。
 まず今日は、ウイッタカ孤児院を訪問しました。ここは小学校も併設されていますが、満月祭の関係でお休みとのこと。孤児院の子どもたちを中心に70〜80人が集まっていました。テーブルには茹でとうもろこし、ラペットゥ(発酵させた茶葉と、ピーナッツや揚げニンニク、豆などをピーナッツオイルで和えて食べるお茶受け)、孤児院で採れたバナナなどが並んでいます。今回どこを訪問しても食べきれないほどのお菓子や豆、果物が並び、さらに歓迎の言葉や歌など、感謝の気持ちが私たちの心に大きく響いてきます。時にはそんな彼らの姿に感極まってしまうことも。そして、日本のお菓子やのこぎりなどを進呈した後、紙芝居の上演です。子どもたちの目は輝いていました。シャン族の子どもも多いらしくビルマ語が分からないとのこと。それでもよそ見をしている子どもはいません。お行儀よく全員が一点に集中。問いかけには大きな声で答えます。そんな子どもたちを見ながら日本の学校を思い浮かべてしまいました。残念ながら、信じがたい授業の様子を何度か見たことがあります。ガイドのニートウェさんの話でハッとすることがありました。「ミャンマーでは『お釈迦さま、僧侶、先生』は絶対的な存在であり、子どもたちはこの三者を尊敬し、言うことは必ず聞きます。」子どもたちに先生の言うことを聞かせられない私たち親の世代が考えなければならないことが、ここにあるのではないかと考えてしまいました。引き続いて、英語カードでゲームをしたり、飛行機やボールで遊んだりしました。子どもたちの控え目な絵顔は本当にかわいかったです。
 午後は、ボジョーマーケットに行き、その後Bグループの皆さんを空港で見送りました。メンバーが急に半減してしまいさみしかったです。皆さんとご一緒できたことに感謝します。そしてその足でウイミンさん宅のガーデンパーティーに向かいました。これは行程表にはありません。しかも最初はティーパティーという話でしたが、あれよっと夕食会になりました。到着すると、広大な芝生のお庭にウイミンさん、息子のチョウソウさんとご家族、工場の方々、歯科グループの先生方がおそろいでした。まずは長テーブルに全員が着席しビールで乾杯です。よく冷えたビールが次々に注がれます。カシューナッツ、えびせんなどをつまみながらワイワイガヤガヤ歓談。かなり高級だというウイスキーもふるまわれ始めました。あれっ、先ほどバスの中でニートウェさんが、「ミャンマーでは家でお酒を飲んではいけません。飲むときは外出するしかないのですよ。」とお話しされていたのでは。それを聞いたチョウソウさんは、「そうなんですかー、ガハハー」と。チョウソウさんは、パナソニックにお勤めということで、進行中のビジネスの話を資料やサンプルを片手に日本語で勢いよく語っておられました。熱かったです。一方でウイミンさんは、終始朗らかに皆さんと流暢な英語で会話を楽しまれ、最新のカメラで記念撮影されていた姿がとても印象的でした。
 そうこうしている間に、丸テーブルの方には食事の準備が整っています。魚の姿蒸し、鶏肉のグリル、とうもろこしサラダ、そらまめ炒め、白きくらげのサラダ、海老の塩焼き、青菜炒め、スープ。家庭料理というよりはレストラン並みのメニュー、しかもどれも口に合う味付けで、少しお腹を悪くされていた方も美味しく食べておられました。ウイミンさんのご家族、工場の方々は英語や日本語も話され、さらに4人の通訳ガイドさんミャンマー写真のお陰で、いろんな立場の方とあらゆる事柄についてお話ができました。時間はあっという間に過ぎ、とは言っても3~4時間はお邪魔していたでしょうか、最後に集合写真を撮りお開きとなりました。その後、バーANEMONEまで車で送っていただくことになったのですが、なんと車は9台所有されているとのことでした。ミャンマーでは車の価格が驚くほど高いというお話。これまで見てきたミャンマーとは少し違った生活を見せていただけた貴重な時間であったと同時に、ここでもミャンマーの人々の温かさとおもてなしの心に感謝しました。
 ANEMONEではNPOの活動に詳しい方と合流し、オーナーの柴田さんも交え、おいしいお酒や軽い食事を取りながら、また違った目線からのお話をお聞きしました。ここでも、バーの雰囲気といい、食事といい、ミャンマーだということを忘れてしまいそうなひと時でした。今日は、一日でミャンマーの両極な生活を知ると同時に、ミャンマーという国の理解を少し深められたような気がしました。
 この旅を通して実感したことの一つに相互理解の大切さがありました。英語カードの実演をすると聞いた日、活動の内容やカードを選ぶのにとても悩みました。お行儀よく、控え目なふるまいを身につけている子どもたちに、どんなゲームなら受け入れられるのか。ハンバーガーやピザのカードは使えるのかと。当日、孤児院では飛行機やボール遊びには袈裟を身につけた子どもたちは参加していませんでした。その子どもたちを巻き込んで英語カードを使ってカルタをしたことはよかったのか、ガーデンパーティーの席でミャンマーの方々に聞いてみました。少し議論されていたようですが、結論としては、単純に遊ぶということだともちろん参加させてはいけないけれど、学習する手法の一つと考えれば、それは問題ないと思いますよと言われました。私はこれを聞いて内心ホッとしました。また、工場長さんが「三匹の子ぶたの話はとてもよかったです。ミャンマーの子どもたちにぴったりの内容でしたね。」と言われました。近藤さんが「いつも絵本や紙芝居を選ミャンマー写真ぶのは本当に難しい。ミャンマーの生活や教えに適しているのかどうか。」と。やはり相手を知ること、相手の生活や環境を知った上で支援することは素材選びにおいても大切だと実感しました。同時に何もできなくなってしまってはいけない、まずはできることをすることの大切さも教えていただいたような気がします。
 以前、米州開発銀行(多国間開発金融機関)から派遣され、ドミニカ共和国で母子手帳の普及プロジェクトをしていた知人を訪ねたことがあります。そこで体験したこと、聞いたことすべては、私の想像と理解を覆すものでした。経済開発の促進や各種自立支援に携わっている人々は声をそろえて言っていました。「それぞれの国の人々の文化や歴史、そこから生じる考え方や常識の違いを理解できるまではとにかく無力感しか得られない。」その知人は、現在ユニセフの職員としてアフリカのブルンジで新たな支援活動を行っています。今回旅行中に「カンボジアの人々の心は他国の援助により腐ってしまっているのではないか。」というお話がありました。8年前、私も同じことを思いました。その時、なんとかミャンマーにおいては、よき伝統と純粋な心を壊さずして国の発展と豊かな生活が得られることを強く望みました。先日、こんなことが書かれていました。「近年、自己中心的な人が増え、社会に変化を感じる。利権争いでミャンマーの互いに支えあう伝統が崩れそうな傾向を中高年が嘆く。でも市民の生活レベルはほとんど変わっていない。」ニートウェさんが言っていたこんな話を思い出しました。「ミャンマーではお墓はありません。それは輪廻転生の考えからです。貧しい人はこう考えます。前世で自分の行いが悪かったから今の自分がある、親のせいでも誰のせいでもなく、自分のせいだと。だから来世が良くなるよう、現世でできるだけ良い行いをするのです。」
 今回参加させていただき、さらにミャンマーの魅力に取りつかれました。また、なぜミャンマーなのかということも教えていただけたように思います。最後になりましたが、近藤さん、大木さん、水谷さんをはじめ豊友会の皆さん、ガイドのニートウェさん、スーさん、八幡さんには本当にお世話になりました。そして、日本の生活では得られない多くのことを学ばせていただきました。今後の日本ミャンマー豊友会の益々の発展と活躍を願わずにはいられません。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマースタディツアーに参加して
10月23日
バンコック経由で総勢16名でサミットパークホテルに夕方はいりました。
着くとメンバーの山田さんやチョウソさんや会社の人の出迎えを受けました。
三十年前の学生時代東南アジア、タイあたりを旅行した時を思い出しました。
その当時のバンコックでももう少し街に光と活気があったように思う。
空港でも物売りや変な親父さんたちは全く見えず、発展途上国には見えません。また人相の悪そうな人もいません。いい国なんだなーと思いました。
世界から経済制裁を受けているせいか、街は暗くテレビで出ているような北朝鮮ほどではないが街は暗いです。通ってきた道が繁華街を通らなかったのかもしれない。夕食は近くのミャンマー料理だ。始めて口にするピーるの美味しいこと。よく冷えていて日本のビールと変わらない。美味しいまたウイスキーも旧イギリス植民地時代からのものらしく美味しいそうです。是非滞在中に試飲をと思いました。しかしあとであのような美味しい焼酎が出るとは・・・・ 鯛せんべいみたいな御菓子がつまみでやがてしろご飯と魚の煮たものと肉の炒め物が出てきました。事前に聞いていたほどの油濃さはない。スープが美味しい国であると思いました。みんな口にあったのかご飯をお変わりしているものもいる。デザートはハバナなのフライみたいでした。ウエイターさんは清楚でテキパキと動いていたが少し人が多いいようなきもした。トイレは水洗でした。思っていたより結構いい国です。コーヒーが少し甘すぎるのではと思いました。

10月24日
朝食は日本のバイキングとは変わらず果物以外は全てオッケーでした。ちなみに私はシュェダゴンパゴダがホテルの近くであったので早朝散歩がてら寺院の横まで来ていました。朝のきりに包まれたパゴダは奇麗でした。途中2〜3名のご婦人が、丁寧に道を掃いて奇麗に街の風景を整えており、散歩したりジョギングしたりしている人が沢山見られました。公園でし少林寺拳法みたいなしぐさしている人など長閑な雰囲気で、日本で報じられている治安の悪さなど全くなく、他の国よりかえって治安がいいと思いました。マンダレーへ行きの飛行機に乗る前に空港で、山田さんから最近のミャンマー状況をみんなでレクチャーしていただきました。
 政治によって事業が閉鎖されることもあると、ノー天気な私にとっては、緊迫した内容の話でした。海外出店の厳しさを教えてもらう。マンダレーに着きスーパーで香辛料と現地の人の弁当箱を買う。どこの国でも見かける商品が沢山ありとても経済封鎖されている国には思えない便利さでした。品数も多くて楽しい時間をすごすことができました。ナイトバザールは夜も遅かったのか、暗くて閉店しかけの状態でした。シャツや雑貨が多かった。
 近くのショッピングセンターに押されているのか活気がいまいちでした。安くていい商品が沢山あるのに残念。明かりと時間が欲しかった。Tシャツ250円です。

10月25日
朝市を終えて、機織工場の見学でタナカという日よけの化粧したお嬢さんたちが一生懸命機織をしていましたが、日給27円と聞いてびっくりしました。11時前から僧侶の食事タイムをみじかに見せていただき、厳かにしめやかに序列を乱さず自分の器に入れていく姿を見ていて感動を覚えました。我先にと行く人も居らず無言で多くの人が、あわてず小坊主さんもみんな一列で一緒です。今我々が失っている謙虚さと物をいただくありがたさが見えてきます。
 ワチェの病院は大変奇麗に整備されておりちょっと安心しました。通訳の八幡さんが紙芝居をしているのを子供がうれしそうに見ていました。ひと時の楽しい時間であったと思います。ジャパンハートの看護婦さんから現状をレクチャーしていただきました。
 日本人慰霊塔に参拝し、先の戦争で犠牲となった現地の人や日本の軍人さんにお花をささげご冥福を祈りました。遥か日本を離れ大変苦労をなさったかと思うと、言葉にはなりませんでした。また現地の方も多くの犠牲となって大変だったと思います。
 般若心経を全部唱えることができなくてごめんなさい。今度参る時には暗記してきます。
そんな中私たちが出来るのは現地への支援活動に何かの形で参加して、両国に橋を掛けることが供養だとつくづく思いました。メイミョの孤児院では、元気をいただきました。一生懸命元気に歌をうたってくださり、感動の一幕でした。この情景を見た時、命の大切なこと、生きることの大切さと、自分達は幸せなのにモット人生を大切に生きなければと思いました。
 そしてこのスタディツアーの意味が少し分り、周りの人にも一隅を照らさなければならないと私は思いました。 感謝です。また彼らの宿舎を見たとき、8帖くらいのコンクリート土間の二階建ての家に20人くらい寝泊まりしているみたいでした。あの境遇の中からでも大学に行く子もいると聞いて、感動いたしました。私たちは日本に生まれてよかったとも思いました。

10月26日
 タウンジの瞑想センターではニイさんの通訳で瞑想がいかに大切かを教えていただきました。僧侶の大きな気持ちがひしひしと脳裏にしみこんできました。 以前に寺子屋を寄贈した部族の代表4名がバイクで30分掛けてきてくれていました。うれしそうにお話をしていました。 インレー湖畔のホテルでの晩餐 は現地のビールと昼間買ったワインで乾杯。最高の気分で最高のミャンマー料理でした。インレー湖の魚は美味しい。


10月27日
ミャンマーが凄いのはインレー湖の水上マーケットの長さ広さをとっても世界一だと思う。また店は少ないが首長族の人にしても謙虚であり押し売りやら決してしない。この情景を見た時、命の大切なこと、生きることの大切さと、自分達は幸せなのにモット人生を大切に生きなければと思いました。謙虚さそして澄んだ瞳を見ていると、世界の人に見て欲しいと思いました。ここには古い日本があると思いました。水上マーケットを視察中に、欄の研究をしている日本の大学の先生と近藤会長が支援の仕方について会話をしていた。色々な方がこの国民を見捨てないでいることはいいことだと思いましたし、それだけ魅力のある国であることに確信しました。

10月28日
ウイタカの孤児院では山口さんたちが上手に子供達をカードで遊ばせてくださいました。私と杉山さんと一緒にカルタ取りみたいなゲームに入りました。
みんな大変うれしそうで目がきらきら輝いている中、おじさんたち二人は一枚も取れず負けました。やっている間一瞬の過去を忘れ去り楽しんでいるのだと思うと、思い切り楽しく一緒に遊ぼうと思いました。帰り時トイレを借りに彼女達の部屋を通りすがると、昔の衣裳缶に一人づつの全財産が入っているのをみて、心が痛くなりました。中にはぼこぼこの缶もありました。でも笑顔は帰って日本の子達よりも奇麗だと思いました。
ウイミンさん宅でバイキングこちそうになり、そのなかでチョウソウさんとの会話
ヤンゴン近郊では既に中国資本が入ってきて土地の値上がり気味工場用地でも坪1,320円位する。一ヘクタール(3,030坪)400万円くらいで賃貸料を購入する。日本の定期借地と同じですが60年住居は30年か60年か90年のいずれか一旦買うと永年に引き継がれる。
日本の地方の工業用地が坪2〜3万円とすると15分の一となり、女子織手さんの日給27円で日本6,500円で計算すると240分の一となります。明らかに土地が16倍ほど価値として高いことになります。中国韓国タイなど近隣諸国が将来を見越して買い付けにはいっているのでしょうか?ここから250キロ離れ車で3時間のところタングーでもあまり変わらないそうです。

10月29日
ジャパンハートの孤児院を見学しました。 ヤンゴン郊外の好立地なので土地は坪5,300円建物は坪8万円と聞きました。何を基準に評価したらいいのか分りませんが、土地も建物も相当高いと思って間違いありません。 ちなみに日本で建てたなら坪20万で十分に建つと私は思いました。輸入資材による材料高かもしれません。ジャパンハートの方から孤児の話をきいて、この国には必要な援助がまだまだあると確信しました。

旅を通して思ったこと
建物
イギリス時代からの多くの貴重な文化遺産があり、建物のも近隣に見られないものが多くあり、つぶさずに管理して欲しい。(旧駅舎)中国からの建築技術が入っているのか、30年くらい遅れているように思いました。特に内装の収め方は雑でした。
高層ビルも結構ありましたが、完成間じかでも使用禁止など結構基準には厳しいのかなと思いました。世界規模で建築家が集まり早い時期に残すべき建物の修復や整備をしないと残念なことになる。ホテルの水周りなど先進国のものの再利用は大いに結構だと思いました。

観光について
どこに行っても観光資源は豊富にあり、インレー湖の水上航路は世界一のアドベンチャーワールドだと思います。パゴダを始め見るものが多く、街も道さえ整備すれば観光立国でも十分に食べていけると思いました。

人柄
昔の日本人の考え方や魂が有るように見えます。世界が行きづまつた時、心のよりどころとして多くの人が訪れることのできる国と思いました。


時代が必ずこの国を迎えてくれる時が来ると思います。ただそれまでに近隣諸国に毒されないことを祈るのみです。それまでしたたかに支援という形で、この国を支えてあげる人たちが必要であると思いました。
大使館での 野村二等書記官と訪問団の会見

10月29日10:54
自己紹介 近藤会長
全国160の中小企業の会社の集まりで経営の勉強している豊友会と申します。今回9回目のミャンマー訪問で、今年の春からNPOを設立しパオ族の村に幼稚園を寄贈しました。 ミャンマーの孤児のために職業訓練所を作りたいと思いやってまいりました。

武田先生
ワチェの病院やその近くの孤児院などで無償治療を行ってきた。今回で4回目で医師3名看護婦一名で来ている。

野村二等書記官
マンダレーからパオ族というと柴田さんのほうの関係ですね?自分達で作るわけですか?

近藤会長
自動車整備工、建築大工、介護士など徐々に増やして生きたい。

野村二等書記官
今日本からの活動団体として16のNGOやNPOが来ているが活動しているのを確認しているのは9団体です。その中では職業訓練校ではなく、障害者を助ける活動はあります。ミャンマー国内にはNPOは無数にあり把握していない。国際的なNGOはあるが日本の団体より遠まわしになり、どこで何をしているのか把握できない。国際的なNGOはお金を出しているがあまり事業としてはやっていない。NGOは今年30件ぐらいのプロジェクトをつけている。そのうち3つの組織で上限1000万 何でまたミャンマー?

近藤会長
エマーラーキンの本を読んでから考えました。今ジャパンハートとの付き合いからはじめています。私達は以前から何度となくジャパンハートに寄付をしてまいりました。

野村二等書記官
外国にはNPOからNGO援助していることはあります。たとえば橋を掛ける、井戸掘りをする事業などに金をだしている。

近藤会長
私達も援助した村のテープカットに今回行きたかったが、国の都合で行けず村人がわざわざ来てくれ感謝状をいただいた。またダウンジの村にJICAと佐賀農協の協力しているところに自転車を寄贈したことがあり、子供同士の交流をめざしている。大体いつも回るコースは決まっている。ウイタカの孤児院にも5〜6回お米と油代として1か月分約10万を毎回寄付してきました。このようにこれまで多くの支援をあちこちでしてきた。そんな中、自分達でも独自で自立支援できる方法があれば大使館の方に教えて欲しい。

野村二等書記官
私達はあちこちで情報を摂取しているわけでないので分らない。ジャパンハートさんに聞いていただいたほうが・・・

武田先生
豊友会からの依頼でジャパンハートさんの協力体制でこれまで4回の無料移動歯科診療支援が出来た。 またそんな縁からマンダレーの歯科大学学長と友好を深め学校見学もしてきました。医療技術のハードな面では20年遅れている。ワチェでも出来る限り治療してまいりました。 いつか吉岡先生の医療システムがどこかに取られていくか、持って行かれるか心配する。
またヤンゴン大学経由なのでマンダレーにはいい人材は来ない。日本の企業がミャンマーから出て行って中国韓国が台頭してきていることに危惧している。 (韓国はテレビドラマから)

野村二等書記官
日本ではミャンマーに対する国民感情がよくない。よって商工会議所レベルの出社件数も52社〜26社と減っている。いる時に使いたいといっても物はないし利益も出せない。各社バングラデェシュに鞍替えしている。韓国はテレビドラマで印象をつけ、企業進出を図っている。中国は電力事業関係で上手く取り入って抵抗が少なくなっている。 しかし日本企業も表に出てこないのであって中小零細企業が増えてきているのではなかろうか?在留邦人は200名といわれているが300名くらいいるとのこと。歯科医師の方も出店したいと在留邦人会に相談に来ているとのこと。

武田先生
現地の人の話として戦時中日本人は22万人もこの国に来てくれた。しかし今は400人と残念がっている人もいます。

近藤会長
NPOで直接この国で事業はできませんか?

野村二等書記官
許可を取るのに最低2年かかります。ミャンマーの政府としては覚書をとり何年間で何万ドルの仕事をしているという事由がなければその中で2003年から活動している。しきしみの会が成功している。しかし日本人柴田さんが帰ってこないと動きが鈍い。

近藤会長
JICAタンボジの訓練校では10年間で57名の卒業生を出し今も16名勉強しているところもあります。職業訓練校を作るとすると大使館関係、財務省、外務省のどの部分の国の予算をいただくことができますか?

野村二等書記官
これまで6団体が該当し、アムダ、BAJA,セイブザチルドレン、ジャパンハート、?難民を助ける人、地球市民の会などがあります。ランニングコストはどの会も出ません。
水谷緑
JAICAが行っている農業技術指導があるが・・

野村二等書記官
毎年4月〜翌年1月で予算執行している。、年度越えの予算執行は出来ない。助成金額によって執行はまちまちである。国が予算立てするにあたっては、過去の実績に基づき少ないところには、それなりの助成となる。計画を立てて、実行していくに当たって少し足らない場合という予算の時には、出すことがある。2008年のサイクロンで障害者対策で活動していた(?難民を助ける人)には、2000万円出している。サイクロンのあと乾季に修復事業するための実施団体に支援したのは、13億円で上下水道に使用している。ユニセフ経由で日本からの援助が出ておりその現場には日の丸のマークが入っている。 ユニセフには5人のスタッフがいて保険、教育などの担当者に別れいて保険事業が予算取りが上手い。 年間に100件の申請が出されても、30件くらいの案件しか見ることができず本当に実行するところしか出ない。遠隔地の場所は援助しにくく見えるところの地域でしか出来ないのが現状である。

水谷緑
タンボジの農業試験所でEM菌を使った栽培などこれらに携わった青年達が農林省などに入って活躍していることは喜ばしい。

野村二等書記官
色々と出てきた事業でも、あまり活動ができにくくなった状態になると、お金が出にくくなる。

近藤会長
最後に我々がこのミャンマーにNPOとして何ができ、必要とされてる部分に自立支援をしたいとすればどうすればいいか?基本的にはこれまで実施しているところに助成をするしかない。
経験を積んで申請し続け、2年3年かかってもミャンマー政府に認可もらうまでは。
どうもいろいろと貴重なご意見ありがとうございました。

福島 義信
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

北タゴンの孤児院建設現場視察とジャパンハート・スタッフの方の講話を聞いて
島田 綾子

 ミャンマースタディーツアー最終日に訪れた北タゴンのジャパンハートの孤児院建設現場。
ヤンゴン中心部からバスに揺られること約40分。舗装されていない凸凹道をヤギがバスを先導してくれる、のどかな場所。そんな田畑の中に、その建設途中の孤児院はありました。

 建設現場の前に積まれた赤いレンガブロック(中には半分崩れているレンガブロックも。耐震は大丈夫?とちょっぴり不安に…。)そして、水たまりに板を渡したぬかるんだ入り口。壁や天井を塗り、窓枠を削り…建設現場では、まだまだ作業中でした。

 対応していただいたジャパンハートの河野朋子さんと礒辺陽子さんによれば、既に建設完成予定(訪問日は10月29日)、そして11月には子どもたちの受け入れ…ということでしたが、「そこはミャンマー時間で、まだ…(苦笑)。」とのことでした。
 入り口を入ると、すぐに「昼間は机を置いて勉強をし、夜は子どもたちの寝る場所になる」という広いスペース。そして、その部屋の隣には、食事をする場所。その奥には、エアコンを入れて事務員さんたちが仕事をできるようにする、という校長室。そして、その隣には、食事等を作る方が休憩できる場所や保健室等の三つに区切られた部屋。部屋…と言っても、「区切られたスペース」といった感じ。
 
 この孤児院は土地代1エーカー650万円。平屋約70坪の建物・建設費540万円。男女の児童収容施設ですが、今後、1000人の受け入れ拡大を検討。(別に、この施設から車で20〜30分程行ったところに8.5エーカー1800万円の土地も確保。)
 孤児の収容と、教育指導を行う寺子屋、そして、将来的には職業訓練の学校建設も視野に入れているそうです。土地はジャパンハートの信頼できる現地ミャンマー人スタッフの名義で購入。ジャパンハートは賃貸料としての支払いをしている、とのこと。「信頼できる現地スタッフ」選定はやはり慎重に行い、1名ではなく、複数名の名義で購入するようにしている、とのことでした。


 北タゴンのこの建設途中の施設は、ジャパンハートの『Dream Train』というプロジェクトの孤児院です。
 今、ミャンマーでは、中国やタイに近いシャン州の人身売買・児童売春ブローカーによる児童売春の低年齢化が問題になっているとのことです。ジャパンハートでは、エイズで親を亡くした子どもたちの保護・育成を目的にこのプロジェクトをスタートしたとのことですが、礒部さんをはじめスタッフの方が現地に行き実態調査をしたところ、親がいても貧困により子どもを売ったり預けたりするケースも多く、エイズで親を亡くした子どもたちの保護だけでなく、人身売買阻止、そして村人へのHIV感染予防の教育に力を入れているとのことでした。
 ミャンマーの軍事政権による諸外国からの経済制裁。貧困。出稼ぎ・売春。エイズ。貧困家庭での子どもの口減らし。…悲しい負の連鎖。
 児童売春の対象は「10歳くらいから…」らしいのですが、更に今は低年齢化しているとのことで、人身売買ブローカーは親に「飛行機代だけ払ってくれたら、子どもたちを満足に食べさせてあげるし、教育も受けさせてあげる。」と言葉巧みに親の「子を思う気持ち」を利用し、子どもたちを人身売買ブローカーに預けさせてしまう、とのことでした。

 ミャンマーの公務員の給料は月40,000〜50,000チャット。月10,000チャットあれば生活に困らない、という国ミャンマーで、貧困家庭の親は子の未来を案じ、我が子を人に託し、そしてその子どもたちの消息がわからなくなっている…という悲しい現実。5〜6歳で預けられ、奴隷のように働かされ、年頃になれば風俗店に売られ、HIV感染したら捨てられる…そんな子どもたちが一人でもいなくなるように…ジャパンハートでは、人身売買ブローカーが近づく前に手を打ち、シャン州から遠く離れたヤンゴンで子どもたちを保護・教育していきたい、と活動されています。

 この北タゴンの孤児院では寺子屋施設としても機能させ、子どもたちに「教育」を提供していきたいとのことでしたが、ミャンマーの寺子屋事情としては、やはりその「指導者」によって、大きく指導方針がかわってしまうとのこと。指導者が「読み書きできればいい」という寺子屋もあれば、「能力がある子どもには大学にいく機会を」という所も。また、宗教的な点では、この北タゴンの孤児院で受け入れる予定の子どもたちの多くはシャン州の出身ですが、「シャン州ではキリスト教徒が多いため、今後、日曜日には教会にいけるようなサポート体制をつくってあげたい、そして寺子屋で仏教精神も教えていきたい。」と河野さん。
 河野さん自身、既に幾つかの寺子屋をまわり、南オカラッパの「ある寺子屋」を目標にしていきたいと、熱く語ってくださいました。やはり、良き指導者との出会いは子どもたちにとって、彼らの人生を左右するとても大切なこと。子どもたちに良き出会いが訪れますように…。


 私は、この旅で2箇所の孤児院を訪問させていただく機会を頂きました。
1箇所目はドーピンの男性の僧侶を指導者とする、男の子のみ約1,050人収容している孤児院。そして、ウイッタカの女性の僧侶を指導者とする、小学校を併設する女の子のみの孤児院(孤児院としては約70名でしょうか?)両方の孤児院の訪問で感じたことは、まず、ミャンマーの子どもたちの「礼儀正しさ」でした。

 日本では『小1プロブレム』が問題になり、授業中に立ち歩いたり、先生の話を聞かなかったり、「我慢ができない」小学1年生への対応が問題に。前職で実際に公立小学校を訪問し、1年生の授業を見学したことがありましたが、やはり「落ち着きのなさ」等が見られることもありました。が、今回訪問した孤児院では、子どもたちは礼儀正しく座り、静かにするところは静かに、そしてきちんと話しを聞き、僧侶の言葉に合わせて合唱していました。「3〜4歳かな?小さい子たちがいるんだな。」と思っていましたが、実は、5〜6歳だったり、ミャンマーの子どもたちは実際の年齢の発育より、日本の子どもたちに比べて少し体が小さめな気がしました。それでも子どもたちは、とても礼儀正しく、訪問者や僧侶の話を聞いていました。本当に感動です。

 また、ウイッタカの孤児院では、寄贈する英語表記のある絵カード教材を使って活動例を示す…ということで、年齢も様々な子どもたちに「野菜」の絵カードを使用した英語活動を行いました。ウイッタカの孤児院の子どもたちは、ミャンマー語もできない子もいる…ということでしたが、ガイドのニトウェーさんがミャンマー語に訳して下さり、英語とミャンマー語を入れた活動を行いました。一通り、「野菜」の単語を英語で発音する練習をした後、”What’s missing?/Mystery bag”の活動や、少し年齢が高めな尼僧の子どもたちと野菜絵カードを使用したカルタ活動を行いましたが、子どもたちはとても真剣に、そして活動を楽しんでいるように見えたので、正直、ホッとしました。
 短い時間でしたが、この英語活動との出会いで、英語を楽しいと思い、これから英語に限らず「学ぶ姿勢」・「学ぶ機会」が増えていってくれたら…と願わずにはいられません。

 この北タゴンの孤児院はまだ建設途中で、建物もできていなければ子どもたちもまだいません。ですが、今まで見てきたミャンマーの孤児院の子どもたちの姿が重なり、この施設にくる子どもたちの背景を思うと、この孤児院・寺子屋で、子どもたちが知識や教養、技術を見につけ、明るい未来を手にしてほしいと、切に願います。


 また、この孤児院建設だけでなく、ジャパンハートが力を入れている視覚障害者支援の「ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンター」についても河野さんが教えてくださいました。
 マッサージトレーニングセンターでは、視覚障害を持つ方に「あんま技術」の研修を行っているとのこと。一クラス約12名。日本の「あんま指導」の学校では技術指導面を考慮し定員は8名のことですが、「もっと定員を増やして欲しい」との声に折り合いをつけ、このトレーニングセンターでは一クラス12名に指導を行っているとのことでした。一日5時間レッスン。技術指導の専門家と補助の方でレッスンを進めているそうです。

 現在、マッサージトレーニングセンターで中心に指導されているのは、若い日本人男性で、医療マッサージ指導の専門家の方。驚いたのは、この方は全盲だということでした。この男性は、日本で5年間程盲学校で教え、その後、アメリカの教育学部で教育について学んだ後、卒業してミャンマーへ渡ったとのことでした。すごい行動力です。
 そして、一緒に指導されている講師の方は、ミャンマー人の女性の方で、日本で「あんま指圧マッサージ」の国家資格を取得したという行動派。また、この女性の方も全盲とのことでした。視覚障害を乗り越えて活躍されるお二人に脱帽です。そして、この話には続きがありまして…河野さんがこのお二人を引き合わせた、とのことでしたが、このお二人は結婚されたそうです。出会いはどこにあるか、本当にわかりません…。

 現在、マッサージ指導の先生方はあくまでもボランティアで、「謝金+住居」の支給があるそうですが、2〜3年後には日本並の給与の支払いを目指しているそうです。継続的な講師の確保、というのがやはり課題のようです。(あと、やはり、視覚障害を持った方が、ミャンマーで自立し生活していく点では、道路の舗装状態をみても、なかなか大変のようです。)
また、河野さんによれば、現在は「あんま技術」指導のみですが、やはり視覚障害の方の中にも「あんま」に向く人・向かない人、「あんま」が好きな人・好きでない人、といらっしゃるので、視覚障害があってもできる他の技術の習得支援ができれば…と語ってくださいました。
河野さんの名詞には、日本語&英語はもちろん、点字表記もされていました。使命感をもって活動されている河野さん・礒部さんは、とても凛とされていて、本当に出会えてよかったと思う素敵なお二人でした。


最後に…
 この同じ時代に、私はたまたま、日本で生まれました。そして、ミャンマーの子どもたちはミャンマーに生まれました。私も…もしミャンマーのシャン州に生まれていたら…恐らく、人身売買ブローカーに売り飛ばされて働かされていたのでは?と思わずにはいられません。
 私は家が田舎の兼業農家で、長女として年が離れた弟や妹の世話をし、そして幼少時代NHKドラマ「おしん」を見て育ちました。「おしん」を見ていたときは、「時代が違えば、私も奉公に出されていた…」と真剣に思っていました。今の時代の日本に生まれて、本当に幸運に思います。

 ジャパンハートの方から頂いたDream Train 11月に来る子どもたち”と紹介されているページがあります。そのページの『子どもたちの一言メッセージ』のほとんどには「学校に行って○○になりたい。」という夢と「お腹いっぱいご飯が食べたい。」と記されています。
(中には「勉強は嫌いだから手に職をつけたい。」という正直な子もおりますが…。笑)
「学校に行くこと」・「手に職をつけること」・「お腹いっぱい食べること」、そんな彼らの願いが叶うことを信じて…。そして、彼らの「これから」に「良き出会い」と「良き機会」が訪れることを切に願います。

 最後になりますが、このミャンマー・スタディツアーに参加させていただきありがとうございました。このスタディ・ツアーに参加された全ての方、そして講話を頂いた方々、ガイドの方々に深くお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

この「良き出会い」が、更なる「良き出会い」へと続きますように…。
ありがとうございました。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマースタディーツアー感想文
『私の思ったこと』
森 治男


この度は、『NPO日本ミャンマー豊友会』事務局 大木さんからのお誘いを受けてB班でミャンマースタディーツアー参加しました。
 飛行機に弱い私が4度目の海外旅行でした。
 今年1月〜2月にかけてパラグア日系人農協をアルゼンチン・ペルーへの長時間飛行にずいぶん迷った時、大学の先輩から60才を過ぎて誘いを断ったら以後。誘ってもらえないから断固行くべしと言われ行くことを決断して以来、可能なかぎりでかけることにしています。
 『NPO日本ミャンマー豊友会』の豊友会は、豊川に事務局があるので豊友会と言うのだと思っていましたが『豊友会』自体は、全国的な異業種交流会との事で前向きで、マジメな若い経営者が多く私は珍しく団長の近藤さんに次ぐ年長者であった。多くの若い人とのふれあいの旅はとても楽しいものであったが逆に若い人に違和感を与えた部分があったら御許し頂きたい。ただインレー湖での船旅の前、少々風邪気味かと思っていたのが船の先頭に座って風をまともにあびた結果、完全に風邪を引いてしまい、親切に水谷さんから色々な薬をいただき、すっかり睡魔におそわれ27日のインレー湖以来眠りぱなしで合った事を心苦しい気持ちです。日本に帰国とともに風邪はすっかり治ったようです。
 29日までミャンマーに滞在された方の報告を読んで私もA班で最後の行事まで参加すれば良かったと感じています。(バンコクに16年間生活する家内の姉夫婦がいますので久しぶりにバンコクへと思ったのですが)
 私の今回のツアーの感想としては、先ず『大したもんだ日本人』と言う事です。(大海に浮かぶ点のようなものかもしれませんが) そして指導者がダメだと本当に国民は苦労するし、犠牲を被るという事を思った。
 私は、今年、南米へ出かけた時『まじめな働き者のこと』を『日本のよう』と言うと聞かされました。(ちなみに中国人、韓国人のことを『狩猟民族のよう』
(つまり自分の利益のみに走る)との評価を聞いた。
  又私達は毎年テーマを設定して中国各地へスタディーツアーをしていました。(教育、食料、民族、環境、日系企業等々の問題をテーマとして)
 中国自治区「内モンゴル」には砂漠化とかした広大なる土地で植樹に取組む日本人達が多くいます。(元さきがけも代議士だった高見氏からもその動機を聞いたことがあります。)
 今回もミャンマーの山林の中で、地方の貧しい人の中で農業、医療、孤児の支援、教育活動に働く多くの日本ボランティア の皆さんがおられました。
こういった日本人ボランティアは、アフリカ、中近東、アジア、中南米と世界中の低開発国にいる。
ミャンマーでもこう言う多くの日本人を知り『本当にたいしたものだ日本人』と強く感じたものです。
最上の中国の進出の仕方(軍事独裁政権の国を狙い撃ちの様に独占的に進出する)をみていると日本も国としてきちっと情報を把握し、日本らしいきめ細かな支援活動が求められると感じた。負けるな日本です。
今回一週間程の初のミャンマー訪問ですので細部にわたる問題点など勿論できませんが、このさい私の今まで思って来た事を少しここで述べて結論とします。
私はかつて松下電器の技術者出身で環境活動家である高木善之氏を何度か私の主催する講演会にお呼びした事があります。
高木さんは、『人口爆発』と言う講演で次のように言われました。多くの人が発展途上国ヘ慰問に行ったり、学校を作ったりしに行きます。それは多くの場合その人自身の思い上がリ、自己満足にすぎない場合が多いと発言されました。学校でアジアの人達が何を学びアジアにボランティアに来る日本人を見て何を感じているかまで知るべきだというのです。「現地の習慣、自然を大切に」が基本です。
現地の人は日本人を羨ましく思い、学校では日本に学ぼうと教えられ、どんどん自然破壊、人口爆発が起こっていると言うのです。いいつもりのボランティアや慰問が全くマイナスに成っていると高木さんは言うのです。「いい事をしている」と思うと人は、謙虚さを忘れ、傲慢になることが多いと思います。(その辺は現地に長く滞在する日本人ドクター、八幡さんなどに現実をお聞きしたいものです。)現場が一番です。
近藤会長が職業訓練センターのことを繰返し述べていましたが是非、最初からお金を掛けるのではなく慎重に進めて行かれたらどうかな、など思ったりしています。(いらぬ御節介恐縮です。)
こちらは、善意でも相手がどう思っているかどんな人物か見極める事、難しいけど大切なところでしょう。(日本は多くのODA予算を本当に無駄に海外にばら撒いて来ました。)
民主党政府の子供手当で益々日本人の自立心を失わしている事と同じ様にならない様にと切に願っています。
最後にザガインヒルの日本人慰霊塔で般若心経を唱えさせて、もらえたのが今回の旅の中で本当に嬉しい事がでした。
馬鹿な指導者に率いられた幾万もの犠牲者が出たインパール作戦。
今の日本の政府指導者も同様な感を抱いております。
ある歴史学者が“日本国民は、歴史を学ばない国民”と言っていました。
是非、これからも海外に出て、いろいろ貪欲に学び多くの人に学びを伝えて行きたいと強く念願しています。9日間の長きにわたり本当に親切にお世話いただいた近藤さん大木さんはじめ若き有望なる経営者の皆さん、有難うございます。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

 拝啓、スタディツアーに参加されました皆様

 本格的な冬の到来に、風邪などを引かれてはおられませんでしょうか?
 ・・は風邪を引かないそうで、私はげんきにやっております。
 ところで皆さん、先日は南方ミャンマーへのご同行ありがとうございました。
大変気さくな方々での渡緬で楽しい旅行をさせて頂きました。
 がっ、正直18回目? 見慣れた景色が広がり、ちょっと前にお世話になっていた町内会に「あー、まぁーたぁ来ちゃった!」って感じで感動の感想が書けない私が、なんとも哀しく残念であります。
 何度お邪魔しても、嫌な応対や印象を受けない(慣れちゃっただけ?)というのはいいですね。
 天然資源に恵まれ、外貨準備高も増えているそうで、このままいい感じで緩やかな民主化が進み民族紛争もいい感じで収まっていってくれることを祈るのみです。
 今後、発展してゆくことは間違いないところではありますが、私たちが現実に叶えられていない願望をミャンマーに望む時、どのように関与してゆくか?ですね。
 地の利も資源もある中で、物資の援助という問題ではなく、今後の発展が、中国の覇権主義とどう向き合ってゆけるか?と言う問題と、お人好しで微妙に自分勝手でしかも耐え忍ぶ国民性ゆえに、搾取にあい易いやすく、しかもそれを素直に受け入れてしまう困った流れを防いで行かないと、どれだけ国が発展しようとも、一般労働者への搾取対策をしなければ、物資の豊かさは手にして頂けそうにないと感じます。
 個人的には、輪廻転生を信じ、施しの習慣や人々の祈りの姿や穏やかな仏教の教えに委ねられる日々が、今後物質が抱負に流れ込み、また中国共産思想の侵食によって壊れてゆくのも切ないので、目を背けたい気持ちもあります。
 こちらから何かを持ち込む事ではなく、かつての日本が古来の素晴らしいものを失って来てしまったように、ミャンマーの人達が次なるものを求めるゆえに、気付かず簡単に捨ててしまいそうな、今ある習慣や文化が失われないような活動や援助がしてゆけるといいのでは?と思います。
 皆様、年の瀬の慌しさと、まだまだ寒さも厳しさを増しそうですし 事故に健康に充分気を付けてお過ごし下さい。
                                                                   敬  具

山田 克彦
                           
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマー旅行記
H22年10月23日〜31日
         
 私にとって3回目の海外旅行は、忘れることの出来ない素晴らしい思い出と楽しい時間を頂きました。同行させて頂いたメンバーの皆さんに恵まれたこともありますが、五感をフルに感じることが出来ました。見るもの、聞くもの、食すもの、におい、裸足での礼拝など、非日常的な出来事が目白押しといった感じで、あっという間の一週間でした。
 見たもので一番は、ヤンゴンのシエラゴンパゴダです。圧倒的にすごい!!実際に見た人でなければわからない凄いパワーを感じる仏塔でした。例えると金閣寺が100棟一ヶ所に集まったかのようです。(ちょっと大げさかな)ほんと必見です。
 聞いたものでは、3人のガイドさんからミャンマーの歴史についてや、これからの発展について学ばせて頂きました。医療ボランティアの先生、看護師からは、「出来ることをやる」「日常の言葉は一ヶ月もすると覚えてしまう」「無我夢中です」こんな言葉が印象的でした。
 食べ物ですが、う〜ン 近藤会長、大木さんすみません。私のせいでだいぶ気を使っていただきました。私はパクチー(香草)ダメ、油ダメ、匂いダメとせっかくのミャンマー料理を最初ほとんど食べることが出来ず、ご心配おかけしました。皆さんとガイドさんのおかげで、ノーパクチー油少々にして頂き、おいしく食べられるようになりました。チャーハンと青菜炒めは絶品でした。そうそう次回ツアーに参加するときは、又参加される方は、お醤油があるとさらにおいしく食べられます。それとビールですね。ミャンマービールは国営で安くておいしいです。気温が熱いこともあってグビグビいっちゃいます。正直スタディーツアーということを忘れてしまいそうでした。
 28日にウイタカ孤児院を訪問しました。たくさんの子供たちから歓迎の歌を聞いて、自然と涙が出てきました。この子供たちが幸せになってくれることを祈りました。日本の子供もミャンマーの子供も目に潤いがあり輝いています。子供たちは宝物だと思いました。
私は木工の仕事をしているので、ミャンマーの子供たちのために何かお役に立とうとのこぎりを買っていきました。ミャンマーを含めて諸外国ではのこぎりは押して切るのですが日本では引いて切ります。ちなみにカンナも外国は押す日本は引きます。それはさておき、紙芝居、英語ゲーム、ビーチボールなどして過ごしたこの孤児院での時間は、なんともいえない心地よい時間でした。この感動をたくさんの人に感じてもらいたいと思います。
 ミャンマーの今後の発展を祈念して、数年後また旅行に来たいと思っております。
最後に、旅のお供をさせて頂き、皆様ありがとうございました。

アイウッド株式会社 代表取締役 熊谷 勝利
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第9回のスタディーツアーは過去最大の参加人数 

 スタディーツアーとしては一番よい季節のはずでしたが、季節外れの台風のせいで、初日の国内便が欠航するというアクシデントに見舞われました。実質的には9回目の訪問ですが、年初に設立したNPO法人「日本ミャンマー豊友会」としては2回目のスタディーツアーでした。しかも過去最大の参加人数20名となりました。
 NPO設立の理念はホームページ上にもありますように「ミャンマーと日本の子供たちのために」です。日本の未来を背負う子供たちが、ミャンマーの子供たちを通じて心の豊かさを学び、品性豊かな国際人となる支援活動をめざしています。今までは交流拠点確立のための、調査の意味合いが強く、子供さんたちを連れてゆくことが出来ていませんでした。政情不安もあり、親御さん達自身も躊躇するのも無理もないという状況でしたが、現地現場をしっかり見学してみると、次は自分の子供達と一緒に、と考え始めてくださっている方々が出始めました。
 今回のもうひとつの旅の目的は、ミャンマーの孤児や子供たちのために、職業訓練所の設立の下調べというものでした。それは従来の多くのNGOが行って来た慈善事業から、私たちは自立支援事業を展開してゆくべきだという確信を持ったからです。技術の基礎を学び終えていれば、さらなる高度な技術を学び続ける意欲を持ったミャンマーの青年を日本に呼ぶこともできる、日本で働いてもらうこともできると考えたからです。異業種交流会を出発点に発足した当会らしい構想であるとも言えます。定年後のみなさんには講師役で是非ご協力をお願いしたいものです。
 来年の第10回スタディーツアーは3月中旬から4月上旬の間を予定しています。できるだけ早く予定を確定いたしますので、奮ってご参加下さい。

近藤 秀二
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマースタディーツアー レポート


 平成22年10月23日から27日まで、ミャンマースタディーツアーに参加しました。ミャンマーの歴史や見所などの観光情報は他にゆだねるとして、5日間という短い期間でしたが、実際に自分が見たり聞いたりしたことから、そのつど何を感じたかを伝えることができればと思います。もちろん私の主観によるものでありますので、そのまま受け取らないで頂きたいし、もし事実と違う点があれば、ぜひご指摘いただきたい。

 このツアーに参加するまでの私のミャンマーに関する知識は、それはそれはお粗末なもので、「最貧国」「仏教国」「軍事政権」「アウン・サン・スーチー」「ビルマの竪琴」程度でして、今回、事前に下調べするまもなく、旅立つこととなりました。NPO法人のスタディーツアーに参加するということもあって、心のどこかに根拠のないおごりをもってミャンマー入りしたことは否めません。前置きが長くなりましたが、まず最初に、「政治」「経済」「宗教」という3つのジャンルから話を進めていきたい。


 政治
 20年ぶりの総選挙が実施される2週間前という日程で、タイのバンコク経由でミャンマーのヤンゴン入りした。いくばくか、身の危険を感じながら、現地ではスーチーさんの名前はご法度だと思い込んでいた。ところが、ヤンゴンの町(2年まえに、首都がネーピードーに移転した影響もあり)は、選挙活動をしている様子も形跡もなく、かといって選挙の話を避けているということでもなさそうである。国際社会において、このまま欧米の制裁措置が続けば経済は停滞したままであり現政権首脳の立場が危うくなるのは明白であり、少しずつ国民の生活水準の向上を図りながら、民主化の道を探ることになろう。現政権は、総選挙を行い、スーチーさんを解放することで民主化をアピールし、軍事態勢をそのまま維持しながら政情安定化に向けてソフトランディングしていきたいようです。
 ミャンマーは、ビルマ人のほかに100超もの少数民族を抱え、北東部では、いまだに内戦状態が続いている。また、サイクロンによる災害の爪あとがいたるところで残っている。そして内戦や川の氾濫により農地を失い、家を捨て、牛(家畜)とともに避難生活をする人々が後を絶たない。働いても働いても生活が楽にならない。賃金は低いが、生活にかかる物資は高い(ミャンマーの人にとって)。積み上げてきたものが、災害等によって一気に無に帰す。なんと情けなく腹立たしい。しかしミャンマーの人は、誰のせいにもしない。たたずんでいる人はいない。みどり豊な国で、食料は豊富である。トラックの荷台、バイクの後ろは野菜や果物を一杯載せて数え切れない人が行き来する。それらの食材が朝市に並んで大勢の人が群がっている。とても衛生的とはいえないがなんとも活気があり、元気一杯だ。隣では、托鉢する僧侶が整然と施しを受けている。
 ミャンマーは危険な国というイメージは払拭された。ミャンマーは相互扶助の国でありやさしい国である。そして、政治体制がどうであろうと、表向きはそれを批判する余裕もなく自分たちの生活のために必死に生きている。

 経済
 ミャンマーは、民主化が進めば、いやおうなくグローバル社会の渦に巻き込まれることは必然であり、安い労働力を提供し、資源を武器に経済的発展を先行させていくことになるあろう。
 まず初めに物の価値を日本の場合と比較してみたい。労働価値として一般的な平均月給は7,000円(70,000ks)、道路等土木社業は、日当たり400円(4,000ks)、そして農家は、日当たり150円(1,500ks)。日本の約40分の1から50分の1の水準でしょうか。では、次に物価は、どうか。食事代は、レストランでお腹一杯食べて飲んで300円から400円、コーヒー1杯あたり30円。外国人料金であることを割り引いても日本の約10分の1程度でしょうか。所得のわりに物の値段が高いということがいえるでしょう。
 次に、市街地は、日本の中古車がたくさん走っている。何十年前のカローラから数年前のパジェロまでメーカーと車種はいろいろ。バスも名古屋や京都の市バスから観光バスまでそのままのデザインで走っている。しかし、値段を聞いてびっくり。カローラで1,000万円、パジェロで3,000万円ぐらいするらしい。なぜ?政府が関税を高くして輸入制限をかけているため車の価値が非常に高くなっているとのこと。こんな高い車を誰が買うのでしょうか?ほんの一握りの政府、軍関係者や貿易会社のオーナーたちである。
 ミャンマーの人は、貯金はしない。すべて消費にまわして物を買う。自国通貨を全く信用していない。土地や金はもちろん車は大きな資産である。
 ミャンマーは、貧しい国ではなく格差の国である。独裁の国である。一部の特権階級が利益を享受して、多くの国民が満足に食べることもできない。
 夜の街は大変暗い。電気が十分ではないのだ。都会はまだましだが、地方へ行くほど電力が制限されてすぐ停電になるらしい。水道水も信用できない。道路、鉄道も整備されるまでまだまだ時間がかかりそうである。
 政情が安定することが大前提であるが、安価な労働力と豊富な資源を狙って、世界が注目をしている。ミャンマーの人たちも、物質的な豊かさを願って貪欲に勉強し、一生懸命働いている。いくつかの混乱を乗り越えて、外国の支援を受けながら年々インフラが整備され他の東南アジア諸国同様めまぐるしい発展を遂げていくのは間違いなさそうである。


 宗教
 ミャンマーでは、ほとんどの人が仏教を信仰する仏教国である。そして、仏教徒の男性は一生に一度、必ず出家して修行しなければならない。一時的な出家でもよいが、大変厳しいもので出家した僧侶たちは在家の信者たちによって支援されている。
 政治が及んでない部分、仏教思想を背景とした宗教、僧侶が国民のモラルを維持しているようである。規律規範、道徳教育など生きていく上で最低限のルールは当然のように身につくのである。日本の仏教信仰とはかなり異質である。日本の仏教は葬式仏教であり、言い過ぎかもしれないが、いまや中身のない儀式に過ぎない。
 日本には、よろずの神がいて、長い歴史の中で人々の信仰心は希薄になり、欧米の様式がどんどん入ってきた現代は価値観も多様化してしまった。もちろん多様化したことは悪いことではないが、何が真実なのかわからなくなってしまった。いつも迷っている。心を病む人がどれほど多いか。心のよりどころをなくし、信頼できる人が周りにいなくなってしまった。自分の人生だから自分で選択できることは幸せに違いないが、何の疑いもなくその道を極めることもまた幸せなことである。



 さて次にミャンマーの訪問先で感じたことを述べていきたい。

 25日、マンダレーから車で2時間ほど東へ行ったピンウールィン(メイミョー)のはずれにある山間の「ドーピン孤児院」を訪れた。僧院が孤児院を運営しており、1,050名の男子(僧院であるため男子のみ)がここで生活している。ここは、受け入れを断らないため、人数は増える一方である。夕方、予定より遅れて到着したわれわれを、数名の僧侶と数え切れない孤児たちが迎え入れてくれた。「幸せなら手をたたこう」の大合唱による歓迎である。マイクを持つ僧侶の歌に従って、全員が日本語で大きな声で歌う。体が震えた。その場にいたら感動しない日本人はいないであろう。病気、災害で親をなくした子どもたち、口減らしから親元を離れた子どもたち、にもかかわらず人懐こくて、屈託のない笑顔が印象的である。カメラを向けるともの珍しそうに集まってきて、写った自分の姿を探して笑う。
 自分はこの子達に何かできることがあるのだろうか。何かしなければ、と思った。しかし、決して物やお金をもらおうとは思っていないはずである。将来にわたって、役立つ自立支援を望む。教養であったり技術であったり、あるいはそれに役立つ物ならよいのかもしれない。
 この孤児院を運営する僧侶のリーダーは、1,000人もの子どもたちを教育し、統率し、彼らの将来を考え支援している。中には大学へ進むもの、技術を身につけ社会に出るもの、それぞれの適性によって育てている。また、子どもどおしの関係性の中で人付き合いを学ぶ。人が人を育てる土壌がそこにあるのかもしれない。


 25日、日本人医師、吉岡先生が運営するジャパンハート、ワッチェ病院を訪れた。病院は、マンダレー郊外のサガインの川沿いにあります。この病院が日本人慰霊碑があるマンダレーヒル近くにあることも意味があることでしょう。
 あいにく吉岡先生は不在でしたが、一通り見学した後、現地で働く日本人看護師の方と日本人医師の方の話を聞くことができた。
 彼らは、1年間、あるいは2年間無報酬でミャンマーの人の医療に当たる。たいした医療設備もなく、限りある支援の中、昼夜なく働く。過酷な条件に自らの身をおいて働いている。日本にも世界にも、NPOあるいはボランティアの舞台で活躍する人はたくさんいる。私はずっと前から彼らを駆り立てるものは何か、彼らの目的は何か考えることがあった。
 私は、この日本人医師に聞く。「何のためにここでボランティアしようと思ったのか。」「将来得るものはあるのか。」彼の答えは明快であった。「これをやるのは本能であり、感謝されることを望むものでもなく、何か感じてもらえればいい。」あぁ〜なんだかもやもやしていたものが晴れた気がした。結果を求めていたし、目的が何かないといけないと思っていた。もっと自分に正直になって行動すればいいんだと。彼らは、重病患者と向き合うときはまさに戦場になる。限られた設備、条件で命と向き合わなければならない。言葉もまともに通じないかもしれない。逃げ場のない自分との戦いである。


 26日、ヤンゴンのガイドさんの計らいで老人ホームを訪ねた。アポなしの飛込みであったが、運よく見学することができた。あまり介護を必要としない方がほとんどであったが、大型の施設で男性、女性が別々の建物で分けられている。ここでも宗教的な配慮が。部屋は10人の共同生活だ。(といってもその時間誰も部屋にいなかったが)入所しているのは、軍や政府関係者のリタイヤされた人がほとんどとのこと。
 思いつきで、US$100(2人で)寄付した。手続きをするために別室に通され、施設の責任者の方と歓談することができた。彼も以前は政府の仕事をしていたようだ。その施設の運営はやはり寄付や寄進によるものが大きく、入所者の負担は極力少ない。ここで働く人は、特に資格は必要なく、ボランティアではなくここで雇用されているとのこと。私は、この理事長に聞く。「日本では介護人材が不足している。ミャンマーの人たちは日本の介護現場で働く気持ちはあるのか。」彼曰く「それは、日本しだいである。ミャンマー人は、日本で働きたいと思っている。」なにかできることがあるような気がした。





 今回のツアーで、ミャンマーのほんの一部しか見ていないが、たくさんの元気をもらった。単なる観光ではなく、スタディーツアーという研修あるは支援の側面があったからこそ感じることができたと思う。一方で日本の豊かさと貧しさを感じざるを得ない。確かに物資の面では圧倒的に豊かで欲しいものはほとんどのものは手に入る。逆に欲しいものがなくなってきて、感度が鈍ってきてはしないか。今の日本人は、利己的で他人や国のことは無関心で何が起きても自分の身に降りかからなければ関知しない。何をやってもどうせ無理だから消極的で目立たないようにじっとしている。
 ミャンマーの人は、足りないものばかりだから、何とかして手に入れようとする。いろいろ学ぼうと眼差しが真剣そのものである。努力して上を上を目指そうとする。貧しいから豊かになろうとする。自分のことだけでなく、ちゃんと他人のことも考え国のことも考えている。
 日本人は、自分をなくしてしまってはいまいか。自信をなくしてはいまいか。先人が、命懸けで作り上げたものを感謝しなければならない。先人の英知があったからこそ今の繁栄があることを知らなければならない。先の大戦でミャンマーの人に助けてもらった事実があることを忘れてはならない。50年前、100年前の日本が、このミャンマーにあり、ミャンマーの人の心の中にある。
 衝撃的な話がある。ミャンマーの人の交通事故死の示談金は、70,000円である。ミャンマーの地方では、女の子たちがタイにお金で買われていく。30,000円ほどだそうだ。幼くして売られエイズになって捨てられる。命の値段があまりにも安い。われわれ日本人は、命の重さを知っている。ミャンマーの人も命の大切さを知っているが、幼い命を救うことができない。
 私も、吉岡先生のように日本人としておごりではなく謙虚な気持ちで支援することを考えたい。人の役に立ちたいとも思う。そのためには自分が豊かでなければならない。自分が価値のある人間と思えなければならない。自分が価値のある人間だと認識したいがために支援することでもよいと思う。たぶんこれが真実だと思う。


2010.11.7

岩田 竜司
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

大使館訪問 2010年10月29日(金)14:55〜                野村博さん(元国土交通省/愛知県一宮市出身)

主旨:『職業訓練所設立にむけての手順について』

・ 支援の予算は:外務省・大使館・JAICAそれぞれが持っている。
・ 予算としては上限1000万円/件(2階建て鉄筋コンクリートで6〜8教室の建物が1000万円で建つ)
・ ミャンマーで活動している日本NPO法人は9〜10団体あるが職業訓練所活動を行っている団体はない。
・ 大使館が国際NGOに委託しているケースもある。(約30件)
・ NPO法人が他のNPO法人に基金・寄付などを行うケースもよくある。

【過去の支援ケース】
例)1 マンダレーの歯科大学に平成19年に歯科治療用のイス24台導入プロジェクト
・ 地域の人々の歯が悪い人を歯科大学の生徒が診る
・ 授業の一環として行うので治療費は無料。
→校長先生が東京医科歯科大学関係の方/武田先生が訪問。
 武田先生の感想:「ハード面で日本より30年程遅れている」「医療が届かない所に医療を」
 学校の悩み:「ヤンゴン経由で物資関係送られてくるので欲しいものをヤンゴンで取られてしまう」
・ ヤンゴンのミャンマー人の歯科医が「戦時中は日本人が2万人もいてくれたのに、今は400人しかいない。
 残念ですね…」と語っていた。
・大使館もちゃんとイスが使用されているか、電話で確認。

例)2 難民を助ける会
  サイクロン被害者支援
  障害者を対象とした支援(現在はミャンマー人のみで運営)
 
例)3 ユニセフ・UNJP/ 3団体に (13.1million) 
・ ため池&トイレ建設支援

例)4 ユニセフ
・ サイクロン直後の緊急支援対策(2.7million)
 →ポカリスエットを配布(下痢止め)
 →妊婦さんへの支援
 ※ ユニセフは直ぐに動いてくれる。
  ユニセフでの支援条件:
  ・支援物資の箱には日本のマークを入れること。
  ・保健センターに「日本政府より支援してもらった施設です」PRを行う場を作ること。
・ ユニセフの日本人スタッフは今まで5人だったが、今は2人に。
 →教育で一番偉い人が日本人。保健担当が営業部長。
・ ユニセフ支援で学校も建っている。



予算獲得について
→『草の根・人間の安全保障無償資金協力』

1) 「草の根〜無償資金協力」はイニシアルコストのみ。ランニングコストはでない。
2) 申請審査については「外務省審査→大使館でも内容を確認・コメント→外務省での再審査」の手順。
3) 「草の根〜無償資金協力」の申請書は随時受付。
  契約は4月〜1月。お金の支出は2月〜3月。
  契約については、契約が決着しない場合は持ち越し。予算は昨年度ベースを基準に。
  ※最初の予算が50万円のプロジェクトで、翌年度にそれが500万円にあがることはない。
4) ミャンマー政府を対象とした無償事業→「もともとNPOがやっている事業に支援する」がベース。
5) 応募件数は約100件。審査通過は約30件。
  ・活動実績審査などを含むので、まず1年目の書類審査通過は厳しい。
  ・支援活動の場所が遠方の場合もムリ。
  →貧しい村に学校を建てても、配置する先生の確保など「学校の維持」ができないため。
  →大使館は最終段階で建設候補地などの現地調査を行ったり、支援プロジェクトの事後調査を行う。
  →一度支援したプロジェクトでも、うまくいかなかったと判断されるものは2度目は審査が通らない。
  →外務省/大使館もミャンマー政府のOKがでないと予算をつけない。
6) 活動実績のないNPOについては、既に活動を行っている団体に寄付する…という方が早いかも。
7) 覚書(活動内容。何年間で何万ドルの仕事をします。)
8) ミャンマー国内での口座が作れない。
9) ミャンマーで活動を行っている6団体 (活動の詳細はHP上の情報)
    AMDA:The Association of Medical Doctors of Asia /アムダ
    (国連経済社会理事会/UNECOSOC総合協議資格 特定非営利活動法人アムダ)
     ※ 設立時の名称:アジア医師連絡協議会
     相互扶助の精神に基づき、災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動の展開。
     多国籍医師団の結成。

    BAJ:Bridge Asia Japan/ブリッジ エーシア ジャパン 認定NPO法人
     キーワード:「技術支援」と「人材育成」
     ・女性の支援:女性への裁縫訓練、識字教育、保健衛生教育
     ・機械類の整備・技術訓練:車や機械の整備、青年への技術訓練
     ・インフラ整備:技術訓練を兼ねた橋や道路や学校の建設
     ・水の確保:井戸掘り、古井戸の修理、維持管理トレーニング
     ・サイクロン被災地復興支援:学校をつくり、子どもたちへの防災教育

    SAVE THE CHILDREN 社団法人
     途上国における開発援助・緊急援助。
     国際協力、途上国の子どもに関する日本での啓蒙活動。

    難民を助ける会 国際NPO法人
     ・サイクロン緊急復興支援(食料・飲料水・緊急支援物資の配布)
     ・障害者のための職業訓練校(地雷被害者やポリオによる障害者に裁縫・美容理容の訓練)
     ・里親制度

    ジャパンハート/International Medical NGO JAPAN HEART
     (国際医療教育ボランティア医療団)
     ・視覚障害者自立支援プロジェクト
      (ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンター設立)
     ・サガイン慈善病院
     ・看護士養成・保健活動(寺子屋小・中学校)

    地球市民の会/Terra People Association 特定非営利活動法人
     ・地域開発支援
     ・農林・畜産復興支援
     ・人材育成・教育支援
     ・交流事業

     ※ 日赤も活動を行っているが、日赤以外の団体は全て許可を得ている。(更新必要)

10) その他の情報
 ・大使館の日本人:23人
 ・在留邦人:400人(登録者)
    日本人会では200〜300人(実際に住んでいる人)
 ・日本商工会:最高期50社→現在20社程度 「いつかミャンマー」に備える感じ。
  ユニクロがイスラム教のバングラディッシュに工場を建設。宗教的観点からも人間関係が難しい?
 ・韓流ドラマの影響でミャンマー人の韓国への関心
 ・中国の進出(橋を建てる。停電が多い場所には発電所設備を建設など)
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