ほぼ旬刊ミャンマー通信7号

 先日あるNGOのミャンマー帰りの方にお聞きした最近の「民主化による変化」と思われる点を記してみます。私達ももうすぐスタディーツアーで現地に行くわけですから同じようなことを実感することになるかもしれません。

①個人の決断から会議による決定になったせいか?書類仕事がやたらに増えた。各種手続きが更に難しくなった。
②少数民族の人たちと会いづらい状況が生まれている。
③村にホームステイするのが難しい。
④世界的な「援助団体」が懸賞付き!で人集めをするなどしたために援助慣れした村人たちが出現。

ネガティヴな話が多いようですが、一方では
①街中で情報開示が進み、スーティーさんのポスターや新聞記事がみられるようになった。
②メールやユウチューブが制限なしで見られるようになった。
③三本立の為替が一本化され、実勢レートになった。

また私達が新聞紙上で知ったこととしては
①世界各国から外交官がミャンマー入りしている。
②中国サイドの要請で工事開始をしていたダムが村人の反対で中断?
③JICAの財政投融資が始まったことなどでしょうか。

とにかく日本のマスコミにもミャンマーの記事がとても多くなってきています。
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ほぼ旬刊ミャンマー通信第6号

 どじょう宰相の誕生に合わせて相田みつおさんが再び脚光を浴びていますが、「うばい合えば足りぬ、わけ合えばあまる」という言葉の意味がしみじみわかるのが、ミャンマーです。5800万の人口の約1%弱45万の得度したお坊さんがいます。また人生修養のため男子は必ず頭を丸め、数週間から数ヶ月お寺に預けられます。そうした臨時のお坊さんも含めれば、もっと多くがいるはずで、毎朝托鉢に出かけるお坊さんをあちこちで見ることができます。そんなお坊さんのために朝早くからご飯を炊き、毎日スプーンいっぱい分だけでも喜捨するのです。まさしく「貧者の一灯」です。

 私達もまさしく「貧者の一灯」を掲げたいと思って、年に2〜3回のスタディーツアーを行い、ささやかな寄付をしてきたのです。しかし先回も書いたように「ノット・チャリティー、ジャストワーク」の精神で、「魚を与える」よりは「魚の採り方」の伝授を出来ればしてゆきたいのです。職業訓練学校構想もソーシャルビジネス構想もそんな観点からたどり着いた結論です。調べてゆくと、先輩のNPOやNGOも悩みながら同じ結論にたどり着いているようです。「地球市民の会」などは頭が下がります。

 グラミンクリエイティヴラボ@九大でもそんな勉強をさせていただいております。ソーシャルビジネスの定義は次の3点だと教えられております。①そこにある社会的問題を解決する。②利益を出すのは当然だが、配当はしない(資本金の返還には応ずる)。③自立して持続する(補助金援助金に頼らない、頼れば打ち切られた時点で終わってしまう)。相手も自分たちも食えるようにすることが、自尊の気概、人間としての威厳を生む土壌(どじょう)になる!「配当なしでも、人類の希望という配当があるではないか!というのが理念です。ユヌスさんの挑戦の成功もあります。ソーシャルビジネスは人類の一つの知恵、21世紀の新しいビジネスモデルになりうるのではないかと言われております。「大切なのはあなたから始めることだ!」とA・T・アリアラトネ氏(スリランカ・サルボダヤ運動50年)のセミナーでは問われました。
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ほぼ旬刊ミャンマー通信第4号

 第10回ミャンマースタディーツアーを来月に控えて、ミャンマーの方々への支援のあり方をもう一度考えてゆきたいと思います。私たちは、会の理念「日本とミャンマーの子供たちの未来のために」のもとで、「相互扶助型自立支援」を考え方の芯に置いています。生まれたての認定法人ですから、予算に限りがあることは当然です。数年かけて奨学金の基金づくりをしてゆきたいと思っています。今年は少数民族のパオ族の高校生60人に1年各1万円分を貸付けてゆき、大学を卒業して働き始めると基金に返済をしてもらい、新しい高校生にまた貸しつけてゆく方法で永続性を持たせたいと思っています。ウイッタカ等の他の孤児院の高校生も同じスタイルでゆきます。

 また職業訓練所の第一号としてはドーピンの孤児院に中古パソコン20台をもちこみ、講師の1年分の給与を保証してくるつもりです。講師の助手が高校生の孤児であれば、翌年には彼らが教えることができるのでは?早急に作りたいのは自動車修理の学校です。日本の中古車があふれていますから即仕事につけるのではないかと思います。ミシンも中古が集められるようであれば、縫製教室が開けます。どうしても出発点は軽工業からになるからです。

 蓮の茎の髄の織布やたい焼きチェーン!は直ちに実行といきたいものですし、インド製ソーラーランタンの販売チェーンも有益なスモールビジネスとなる可能性があります。ビジネスに携わる主婦たちの自立を促しますし、基金づくりの助けにもなります。大変化の時を迎えていますから、今後は様々なビジネス話が出てくると思われます。

 保育園や寺小屋の建設はあと2ヶ所くらいにして一旦終了したいと思います。交流拠点が10カ所になりますので、年2回のスタディーツアーではこれくらいが限度となるでしょう。より深くお付き合いをしてゆきたいものです。日本の紙芝居の寄贈と同時に、ビルマ語の本を寄付し、図書室づくりの端緒にします。また日本の子供たちも連れてゆき、ミャンマーの子供たちから学んでもらいたい、そのために次回は春休みを予定しています。18歳以下は会から5万円の「補助金」を出すことにしています。今回は歯医者さんのインターンの方6人にも「補助金」をお出ししています。孤児院の子供たちの検診にご協力をお願いしているからです。

 頭の痛いのは集金です。ミャンマー製品のバザーや、輸出入ビジネスへの紹介手数料、認定法人になりましたので、税金面での優遇が寄付者にも適用されることを力説しつつ、御協力をお願いしたいと考えております。将来的には信託銀行との提携やネット寄金制度の研究を目指します。
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ほぼ旬刊ミヤンマー通信創刊号

 いつもお世話になります。今月18日に301番目の認定法人になりますしたが、記念して11月に第10回ミャンマースタディーツアーをおこないます。またこれを契機に「ほヾ旬刊ミャンマー通信」を発行することにいたしました。いままで「ワールドレポート&博多だより」を受け取ってこられた方は"またか!"と思われる方もみえるでしょう。遠慮無く送付中止を申し出ていただくか、ゴミ箱直行の手段をお取り下さい。また会員さんの拡がりを期待してフェースブック上にホームページ?も開設致しました。

 ミャンマー情勢も軌を一にして今月から目に見える形で変わり始めました。現地の状況も「チャットの実勢レート、貿易レート、公式レートの統一」とか「アライヴヴィザの簡略化」「海外単独資本の会社設立OK」「土地使用権の暴騰」等、急成長するアジアの諸国に取り残されまいとの強い決意が見え始めています。新大統領とアウンサンスチーさんの会談も成功裡に終わったようですし、88年の民主化運動の弾圧で国外に逃れた人たちにも帰国を促し始めたと聞いています。あとは2000人以上に及ぶといわれている政治犯の解放がどうなるかという問題があります。中国の植民地化と欧米の経済制裁から逃れる象徴に2013年のアセアン議長国就任があるように思われます。

 しかし一般論と個別の話は別で、光の当たらないところに私たちは焦点を合わせて自立支援活動を展開してゆきたいと考えております。

 先週の第3回の理事会における討議事項を添付しておきますので、ご興味なある方は開いてみてください。具体的解決方法はともかく、現在の問題意識と方向性です。「志、雲より高く」というわけにはなかなかいっていないのですが、清里のキープ財団の見学で知ったポール・ラッシュの言葉「最善を尽くせ、そして一流であれ」は胸に抱き続けてゆきます。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

第9回ミャンマースタディツアーに付いての感想。
大木 光章


ミャンマースタディツアーが皆様のご協力をいただき多くの感動と思い出を得る事が出来ました。又けが人もなく無事に帰国でき本当に有り難うございました。感謝感謝です。
Nihtweさん、八幡さん、帰国直前まで準備いただいた柴田さん有り難うございました。

私も今回の旅行を通じ多くの気付きを頂きました。
ミャンマー人の思考と上座部仏教の瞑想について。
 ミャンマーの人の85%は、上座部仏教を信仰しています。
上座部仏教は、日本の大乗仏教と違い「自己の修行により自己一人のみが救われる」という考え方です。『上座部仏教の教義では、限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ」である。この苦しみの原因は、こころの執着である。そして、こころの執着を断ち輪廻を解脱するための最も効果的な方法は、経典の学習、戒律の厳守、瞑想の修行であるとする。』
このように仏教徒は、毎日の生活の中で戒律を守り修行に励む事を根本として居ますがなかなか一般の人は戒律を守る事が出来ません。そこで僧侶(現実には仏教徒として戒律を守って生活し、信仰しているのは僧侶だけ)を尊敬してその修行を支える事で来世が約束されると信じている事実を知りました。(寄進とお布施する事が僧侶を支える事になり功徳を積んでいる事になる。)極端に言えば戒律を犯しても寄進、お布施を多くすれば戒律を犯す罪は無くなり来世が約束されると言う思考になっているようです。
 善悪の基準は、やはり人間性によるもので田舎の貧しい?純朴な人の方が純粋に人間としての価値観を(戒律を守る)がある様でまさしく日本の昔の価値観と同じ様に感じました。
 ミャンマーを旅して安らぎと親しみを感ずる事が出来るのは田舎の人々とのふれあいが同じ価値観である日本人として波長が合うからではないかと感じています。

 瞑想について
 私は。写真を撮る事に集中していてNihtweさんの説明を良く聞いてなく瞑想方法が間違っていたため瞑想でなく単なる苦痛の時間でしたがNihtweさんのお話を聞けば聞く程『瞑想』の重要性を理解する事が出来ました。瞑想は、痛み、睡魔、妄想、の現象、煩悩で苦しみ、執着心で自己を縛り付けている現在の自分自身の存在をめざめ、その現象を客観的にみるもう一人の自分を顕在化してSOMETHING GREAT との対話を通じて人間としての価値観、生き方を見つける事が出来る素晴らしい修行です。(ちょっと難しい!)
 世界中の人々が損得好嫌いの価値観からSOMETHING GREATの価値観に触れて、その価値観に沿った考え方で行動する事が出来たならば(他宗教も同じ事を伝えていると思いますが)争いの無い極楽浄土の世界が実現出来るのではと思えてなりません。

 少女の微笑み
マンダレーでの出来事です。市場で男の子を抱いた少女にあいました。
熊谷さんが少女を見つけ写真を撮って話しかけました。心優しい吉田さんは、持っていたキャンデーを男の子にあげました。その時の少女の仕草がとても印象的で思わずシャッターを切ってしまいました。岩田さんは、少女が見た事も無い物を貰い戸惑っている少女を見かねてキャンデーの包装を取ってキャンデーである事を説明して男の子に食べさせました。
少女は、男の子がキャンデーを食べる様子をみて微笑むのです。その微笑みその目は、母親が愛しい我が子に見せる眼差しでした。又、少女は、自分の分のキャンデーを食べようともせず男の子に持たせて、又微笑むのです。自分でもきっと食べたいと思ったでしょうがそれ以上に男の子の喜ぶ笑顔が彼女に取って喜びなのでしょ。ミャンマー人が持つ(昔の日本人も持っていた)素晴らしさを見つける事が出来ました。
 貧しいからこそ物の有り難さが分かり、人の優しさが分かるのでしょう。
人間に取って経済成長する事が良いかどうか疑問ですね。ミャンマーは、確実に経済成長して行きます。しかし経済成長して潤うのは、一部の階級の人ばかりでしょう。経済成長しても搾取される人たちは、底辺の人たちです。その人達こそ本当の意見での優しさを持っているのではないでしょうか。本当に困窮している人たちへの自立支援が必要ではないでしょうか。又押しつけの支援でなく多くの方に望まれる自立支援活動こそ我々が目指す支援活動であるとおもいます。
 日本の子供たちとミャンマーの子供たちにとって正しい成長を目指さないと国がダメになる様に思います。正しい価値観で活動を行い、真に両国に貢献できる活動こそ我々しか出来ない活動だと確信しております。崇高なる理念とその理念を具現化して日本の子供達にミャンマーを通して日本人が持っている素晴らしい心『慈しみの心』取り戻す活動をしていきたいとおもいます。皆さん色々と気付きを頂き有難うございました。
   
kansou1.jpg吉田さん岩田さんがキャンデーをあげる   “狃は、男の子を心配して?◆  |砲了劼良従陲飽多粥  


kansou2.jpg自分のキャンデーも男の子にぁ   |砲了劼隆遒咾我が喜び?ァ   ”呂靴ても心豊かな国 ミャンマーの笑顔

日本人が忘れている『慈しみの心』を見つける事が出来ました。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

 第9回ミャンマースタディーツアー
「スタディーツアー6日目(10月28日)」
山口 愛

 Aグループの私たちはミャンマーで残すところあと2日。Bグループとは今日10月28日でお別れです。比較的涼しかった北部からヤンゴンに戻ってきたせいか、陽ざしが強くとても暑く感じられました。
 今日は、ホテルの朝食に替えシャンヌードルで一日が始まりました。ミャンマーに何度も来られている方々のお話から、シャンヌードルがとても気になっていたのです。前日の夕食会でその話をしていたら、ガイドのスーさんと夕食会にお招きしたウイミンさんの娘さんが、声をそろえて「食べるべきですよ!」と。彼女たちがくれたお薦めの食堂の名前と「私はシャンヌードルが食べたい。」とミャンマー語で書かれたメモを頼りに食堂へ向かいました。出てきたのはそうめんのような細い麺に肉みそがのり、薬味とスープが別になった汁なし麺。薬味を入れ肉みそと絡めてミャンマー料理
いただきましたが、とても日本人の口に合う味付けでした。早朝からたくさんの人たちが食堂に集まり朝食をとっている姿はとても興味深いものでした。その中で確実にういている私たちのメモを見て、笑いながらオッケーオッケーと対応してくれた店員さんたちの温かさに心地よさを感じ、シャンヌードルもとても美味しく感じられました。
 2002年11月、今からちょうど8年前、ミャンマーを初めて訪問しました。カンボジアのついでにちょっと寄ってみようという軽い気持ちで訪れた4日間。しかしそこで受けた感動は、私の心の中に強く残るものとなりました。それはミャンマーの人々の純粋な心であり温かさでした。今回参加するにあたり、ミャンマーの人々に違った角度から触れ、その背景にあるものを少しでも理解することができたらと思いました。
 まず今日は、ウイッタカ孤児院を訪問しました。ここは小学校も併設されていますが、満月祭の関係でお休みとのこと。孤児院の子どもたちを中心に70〜80人が集まっていました。テーブルには茹でとうもろこし、ラペットゥ(発酵させた茶葉と、ピーナッツや揚げニンニク、豆などをピーナッツオイルで和えて食べるお茶受け)、孤児院で採れたバナナなどが並んでいます。今回どこを訪問しても食べきれないほどのお菓子や豆、果物が並び、さらに歓迎の言葉や歌など、感謝の気持ちが私たちの心に大きく響いてきます。時にはそんな彼らの姿に感極まってしまうことも。そして、日本のお菓子やのこぎりなどを進呈した後、紙芝居の上演です。子どもたちの目は輝いていました。シャン族の子どもも多いらしくビルマ語が分からないとのこと。それでもよそ見をしている子どもはいません。お行儀よく全員が一点に集中。問いかけには大きな声で答えます。そんな子どもたちを見ながら日本の学校を思い浮かべてしまいました。残念ながら、信じがたい授業の様子を何度か見たことがあります。ガイドのニートウェさんの話でハッとすることがありました。「ミャンマーでは『お釈迦さま、僧侶、先生』は絶対的な存在であり、子どもたちはこの三者を尊敬し、言うことは必ず聞きます。」子どもたちに先生の言うことを聞かせられない私たち親の世代が考えなければならないことが、ここにあるのではないかと考えてしまいました。引き続いて、英語カードでゲームをしたり、飛行機やボールで遊んだりしました。子どもたちの控え目な絵顔は本当にかわいかったです。
 午後は、ボジョーマーケットに行き、その後Bグループの皆さんを空港で見送りました。メンバーが急に半減してしまいさみしかったです。皆さんとご一緒できたことに感謝します。そしてその足でウイミンさん宅のガーデンパーティーに向かいました。これは行程表にはありません。しかも最初はティーパティーという話でしたが、あれよっと夕食会になりました。到着すると、広大な芝生のお庭にウイミンさん、息子のチョウソウさんとご家族、工場の方々、歯科グループの先生方がおそろいでした。まずは長テーブルに全員が着席しビールで乾杯です。よく冷えたビールが次々に注がれます。カシューナッツ、えびせんなどをつまみながらワイワイガヤガヤ歓談。かなり高級だというウイスキーもふるまわれ始めました。あれっ、先ほどバスの中でニートウェさんが、「ミャンマーでは家でお酒を飲んではいけません。飲むときは外出するしかないのですよ。」とお話しされていたのでは。それを聞いたチョウソウさんは、「そうなんですかー、ガハハー」と。チョウソウさんは、パナソニックにお勤めということで、進行中のビジネスの話を資料やサンプルを片手に日本語で勢いよく語っておられました。熱かったです。一方でウイミンさんは、終始朗らかに皆さんと流暢な英語で会話を楽しまれ、最新のカメラで記念撮影されていた姿がとても印象的でした。
 そうこうしている間に、丸テーブルの方には食事の準備が整っています。魚の姿蒸し、鶏肉のグリル、とうもろこしサラダ、そらまめ炒め、白きくらげのサラダ、海老の塩焼き、青菜炒め、スープ。家庭料理というよりはレストラン並みのメニュー、しかもどれも口に合う味付けで、少しお腹を悪くされていた方も美味しく食べておられました。ウイミンさんのご家族、工場の方々は英語や日本語も話され、さらに4人の通訳ガイドさんミャンマー写真のお陰で、いろんな立場の方とあらゆる事柄についてお話ができました。時間はあっという間に過ぎ、とは言っても3~4時間はお邪魔していたでしょうか、最後に集合写真を撮りお開きとなりました。その後、バーANEMONEまで車で送っていただくことになったのですが、なんと車は9台所有されているとのことでした。ミャンマーでは車の価格が驚くほど高いというお話。これまで見てきたミャンマーとは少し違った生活を見せていただけた貴重な時間であったと同時に、ここでもミャンマーの人々の温かさとおもてなしの心に感謝しました。
 ANEMONEではNPOの活動に詳しい方と合流し、オーナーの柴田さんも交え、おいしいお酒や軽い食事を取りながら、また違った目線からのお話をお聞きしました。ここでも、バーの雰囲気といい、食事といい、ミャンマーだということを忘れてしまいそうなひと時でした。今日は、一日でミャンマーの両極な生活を知ると同時に、ミャンマーという国の理解を少し深められたような気がしました。
 この旅を通して実感したことの一つに相互理解の大切さがありました。英語カードの実演をすると聞いた日、活動の内容やカードを選ぶのにとても悩みました。お行儀よく、控え目なふるまいを身につけている子どもたちに、どんなゲームなら受け入れられるのか。ハンバーガーやピザのカードは使えるのかと。当日、孤児院では飛行機やボール遊びには袈裟を身につけた子どもたちは参加していませんでした。その子どもたちを巻き込んで英語カードを使ってカルタをしたことはよかったのか、ガーデンパーティーの席でミャンマーの方々に聞いてみました。少し議論されていたようですが、結論としては、単純に遊ぶということだともちろん参加させてはいけないけれど、学習する手法の一つと考えれば、それは問題ないと思いますよと言われました。私はこれを聞いて内心ホッとしました。また、工場長さんが「三匹の子ぶたの話はとてもよかったです。ミャンマーの子どもたちにぴったりの内容でしたね。」と言われました。近藤さんが「いつも絵本や紙芝居を選ミャンマー写真ぶのは本当に難しい。ミャンマーの生活や教えに適しているのかどうか。」と。やはり相手を知ること、相手の生活や環境を知った上で支援することは素材選びにおいても大切だと実感しました。同時に何もできなくなってしまってはいけない、まずはできることをすることの大切さも教えていただいたような気がします。
 以前、米州開発銀行(多国間開発金融機関)から派遣され、ドミニカ共和国で母子手帳の普及プロジェクトをしていた知人を訪ねたことがあります。そこで体験したこと、聞いたことすべては、私の想像と理解を覆すものでした。経済開発の促進や各種自立支援に携わっている人々は声をそろえて言っていました。「それぞれの国の人々の文化や歴史、そこから生じる考え方や常識の違いを理解できるまではとにかく無力感しか得られない。」その知人は、現在ユニセフの職員としてアフリカのブルンジで新たな支援活動を行っています。今回旅行中に「カンボジアの人々の心は他国の援助により腐ってしまっているのではないか。」というお話がありました。8年前、私も同じことを思いました。その時、なんとかミャンマーにおいては、よき伝統と純粋な心を壊さずして国の発展と豊かな生活が得られることを強く望みました。先日、こんなことが書かれていました。「近年、自己中心的な人が増え、社会に変化を感じる。利権争いでミャンマーの互いに支えあう伝統が崩れそうな傾向を中高年が嘆く。でも市民の生活レベルはほとんど変わっていない。」ニートウェさんが言っていたこんな話を思い出しました。「ミャンマーではお墓はありません。それは輪廻転生の考えからです。貧しい人はこう考えます。前世で自分の行いが悪かったから今の自分がある、親のせいでも誰のせいでもなく、自分のせいだと。だから来世が良くなるよう、現世でできるだけ良い行いをするのです。」
 今回参加させていただき、さらにミャンマーの魅力に取りつかれました。また、なぜミャンマーなのかということも教えていただけたように思います。最後になりましたが、近藤さん、大木さん、水谷さんをはじめ豊友会の皆さん、ガイドのニートウェさん、スーさん、八幡さんには本当にお世話になりました。そして、日本の生活では得られない多くのことを学ばせていただきました。今後の日本ミャンマー豊友会の益々の発展と活躍を願わずにはいられません。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマースタディツアーに参加して
10月23日
バンコック経由で総勢16名でサミットパークホテルに夕方はいりました。
着くとメンバーの山田さんやチョウソさんや会社の人の出迎えを受けました。
三十年前の学生時代東南アジア、タイあたりを旅行した時を思い出しました。
その当時のバンコックでももう少し街に光と活気があったように思う。
空港でも物売りや変な親父さんたちは全く見えず、発展途上国には見えません。また人相の悪そうな人もいません。いい国なんだなーと思いました。
世界から経済制裁を受けているせいか、街は暗くテレビで出ているような北朝鮮ほどではないが街は暗いです。通ってきた道が繁華街を通らなかったのかもしれない。夕食は近くのミャンマー料理だ。始めて口にするピーるの美味しいこと。よく冷えていて日本のビールと変わらない。美味しいまたウイスキーも旧イギリス植民地時代からのものらしく美味しいそうです。是非滞在中に試飲をと思いました。しかしあとであのような美味しい焼酎が出るとは・・・・ 鯛せんべいみたいな御菓子がつまみでやがてしろご飯と魚の煮たものと肉の炒め物が出てきました。事前に聞いていたほどの油濃さはない。スープが美味しい国であると思いました。みんな口にあったのかご飯をお変わりしているものもいる。デザートはハバナなのフライみたいでした。ウエイターさんは清楚でテキパキと動いていたが少し人が多いいようなきもした。トイレは水洗でした。思っていたより結構いい国です。コーヒーが少し甘すぎるのではと思いました。

10月24日
朝食は日本のバイキングとは変わらず果物以外は全てオッケーでした。ちなみに私はシュェダゴンパゴダがホテルの近くであったので早朝散歩がてら寺院の横まで来ていました。朝のきりに包まれたパゴダは奇麗でした。途中2〜3名のご婦人が、丁寧に道を掃いて奇麗に街の風景を整えており、散歩したりジョギングしたりしている人が沢山見られました。公園でし少林寺拳法みたいなしぐさしている人など長閑な雰囲気で、日本で報じられている治安の悪さなど全くなく、他の国よりかえって治安がいいと思いました。マンダレーへ行きの飛行機に乗る前に空港で、山田さんから最近のミャンマー状況をみんなでレクチャーしていただきました。
 政治によって事業が閉鎖されることもあると、ノー天気な私にとっては、緊迫した内容の話でした。海外出店の厳しさを教えてもらう。マンダレーに着きスーパーで香辛料と現地の人の弁当箱を買う。どこの国でも見かける商品が沢山ありとても経済封鎖されている国には思えない便利さでした。品数も多くて楽しい時間をすごすことができました。ナイトバザールは夜も遅かったのか、暗くて閉店しかけの状態でした。シャツや雑貨が多かった。
 近くのショッピングセンターに押されているのか活気がいまいちでした。安くていい商品が沢山あるのに残念。明かりと時間が欲しかった。Tシャツ250円です。

10月25日
朝市を終えて、機織工場の見学でタナカという日よけの化粧したお嬢さんたちが一生懸命機織をしていましたが、日給27円と聞いてびっくりしました。11時前から僧侶の食事タイムをみじかに見せていただき、厳かにしめやかに序列を乱さず自分の器に入れていく姿を見ていて感動を覚えました。我先にと行く人も居らず無言で多くの人が、あわてず小坊主さんもみんな一列で一緒です。今我々が失っている謙虚さと物をいただくありがたさが見えてきます。
 ワチェの病院は大変奇麗に整備されておりちょっと安心しました。通訳の八幡さんが紙芝居をしているのを子供がうれしそうに見ていました。ひと時の楽しい時間であったと思います。ジャパンハートの看護婦さんから現状をレクチャーしていただきました。
 日本人慰霊塔に参拝し、先の戦争で犠牲となった現地の人や日本の軍人さんにお花をささげご冥福を祈りました。遥か日本を離れ大変苦労をなさったかと思うと、言葉にはなりませんでした。また現地の方も多くの犠牲となって大変だったと思います。
 般若心経を全部唱えることができなくてごめんなさい。今度参る時には暗記してきます。
そんな中私たちが出来るのは現地への支援活動に何かの形で参加して、両国に橋を掛けることが供養だとつくづく思いました。メイミョの孤児院では、元気をいただきました。一生懸命元気に歌をうたってくださり、感動の一幕でした。この情景を見た時、命の大切なこと、生きることの大切さと、自分達は幸せなのにモット人生を大切に生きなければと思いました。
 そしてこのスタディツアーの意味が少し分り、周りの人にも一隅を照らさなければならないと私は思いました。 感謝です。また彼らの宿舎を見たとき、8帖くらいのコンクリート土間の二階建ての家に20人くらい寝泊まりしているみたいでした。あの境遇の中からでも大学に行く子もいると聞いて、感動いたしました。私たちは日本に生まれてよかったとも思いました。

10月26日
 タウンジの瞑想センターではニイさんの通訳で瞑想がいかに大切かを教えていただきました。僧侶の大きな気持ちがひしひしと脳裏にしみこんできました。 以前に寺子屋を寄贈した部族の代表4名がバイクで30分掛けてきてくれていました。うれしそうにお話をしていました。 インレー湖畔のホテルでの晩餐 は現地のビールと昼間買ったワインで乾杯。最高の気分で最高のミャンマー料理でした。インレー湖の魚は美味しい。


10月27日
ミャンマーが凄いのはインレー湖の水上マーケットの長さ広さをとっても世界一だと思う。また店は少ないが首長族の人にしても謙虚であり押し売りやら決してしない。この情景を見た時、命の大切なこと、生きることの大切さと、自分達は幸せなのにモット人生を大切に生きなければと思いました。謙虚さそして澄んだ瞳を見ていると、世界の人に見て欲しいと思いました。ここには古い日本があると思いました。水上マーケットを視察中に、欄の研究をしている日本の大学の先生と近藤会長が支援の仕方について会話をしていた。色々な方がこの国民を見捨てないでいることはいいことだと思いましたし、それだけ魅力のある国であることに確信しました。

10月28日
ウイタカの孤児院では山口さんたちが上手に子供達をカードで遊ばせてくださいました。私と杉山さんと一緒にカルタ取りみたいなゲームに入りました。
みんな大変うれしそうで目がきらきら輝いている中、おじさんたち二人は一枚も取れず負けました。やっている間一瞬の過去を忘れ去り楽しんでいるのだと思うと、思い切り楽しく一緒に遊ぼうと思いました。帰り時トイレを借りに彼女達の部屋を通りすがると、昔の衣裳缶に一人づつの全財産が入っているのをみて、心が痛くなりました。中にはぼこぼこの缶もありました。でも笑顔は帰って日本の子達よりも奇麗だと思いました。
ウイミンさん宅でバイキングこちそうになり、そのなかでチョウソウさんとの会話
ヤンゴン近郊では既に中国資本が入ってきて土地の値上がり気味工場用地でも坪1,320円位する。一ヘクタール(3,030坪)400万円くらいで賃貸料を購入する。日本の定期借地と同じですが60年住居は30年か60年か90年のいずれか一旦買うと永年に引き継がれる。
日本の地方の工業用地が坪2〜3万円とすると15分の一となり、女子織手さんの日給27円で日本6,500円で計算すると240分の一となります。明らかに土地が16倍ほど価値として高いことになります。中国韓国タイなど近隣諸国が将来を見越して買い付けにはいっているのでしょうか?ここから250キロ離れ車で3時間のところタングーでもあまり変わらないそうです。

10月29日
ジャパンハートの孤児院を見学しました。 ヤンゴン郊外の好立地なので土地は坪5,300円建物は坪8万円と聞きました。何を基準に評価したらいいのか分りませんが、土地も建物も相当高いと思って間違いありません。 ちなみに日本で建てたなら坪20万で十分に建つと私は思いました。輸入資材による材料高かもしれません。ジャパンハートの方から孤児の話をきいて、この国には必要な援助がまだまだあると確信しました。

旅を通して思ったこと
建物
イギリス時代からの多くの貴重な文化遺産があり、建物のも近隣に見られないものが多くあり、つぶさずに管理して欲しい。(旧駅舎)中国からの建築技術が入っているのか、30年くらい遅れているように思いました。特に内装の収め方は雑でした。
高層ビルも結構ありましたが、完成間じかでも使用禁止など結構基準には厳しいのかなと思いました。世界規模で建築家が集まり早い時期に残すべき建物の修復や整備をしないと残念なことになる。ホテルの水周りなど先進国のものの再利用は大いに結構だと思いました。

観光について
どこに行っても観光資源は豊富にあり、インレー湖の水上航路は世界一のアドベンチャーワールドだと思います。パゴダを始め見るものが多く、街も道さえ整備すれば観光立国でも十分に食べていけると思いました。

人柄
昔の日本人の考え方や魂が有るように見えます。世界が行きづまつた時、心のよりどころとして多くの人が訪れることのできる国と思いました。


時代が必ずこの国を迎えてくれる時が来ると思います。ただそれまでに近隣諸国に毒されないことを祈るのみです。それまでしたたかに支援という形で、この国を支えてあげる人たちが必要であると思いました。
大使館での 野村二等書記官と訪問団の会見

10月29日10:54
自己紹介 近藤会長
全国160の中小企業の会社の集まりで経営の勉強している豊友会と申します。今回9回目のミャンマー訪問で、今年の春からNPOを設立しパオ族の村に幼稚園を寄贈しました。 ミャンマーの孤児のために職業訓練所を作りたいと思いやってまいりました。

武田先生
ワチェの病院やその近くの孤児院などで無償治療を行ってきた。今回で4回目で医師3名看護婦一名で来ている。

野村二等書記官
マンダレーからパオ族というと柴田さんのほうの関係ですね?自分達で作るわけですか?

近藤会長
自動車整備工、建築大工、介護士など徐々に増やして生きたい。

野村二等書記官
今日本からの活動団体として16のNGOやNPOが来ているが活動しているのを確認しているのは9団体です。その中では職業訓練校ではなく、障害者を助ける活動はあります。ミャンマー国内にはNPOは無数にあり把握していない。国際的なNGOはあるが日本の団体より遠まわしになり、どこで何をしているのか把握できない。国際的なNGOはお金を出しているがあまり事業としてはやっていない。NGOは今年30件ぐらいのプロジェクトをつけている。そのうち3つの組織で上限1000万 何でまたミャンマー?

近藤会長
エマーラーキンの本を読んでから考えました。今ジャパンハートとの付き合いからはじめています。私達は以前から何度となくジャパンハートに寄付をしてまいりました。

野村二等書記官
外国にはNPOからNGO援助していることはあります。たとえば橋を掛ける、井戸掘りをする事業などに金をだしている。

近藤会長
私達も援助した村のテープカットに今回行きたかったが、国の都合で行けず村人がわざわざ来てくれ感謝状をいただいた。またダウンジの村にJICAと佐賀農協の協力しているところに自転車を寄贈したことがあり、子供同士の交流をめざしている。大体いつも回るコースは決まっている。ウイタカの孤児院にも5〜6回お米と油代として1か月分約10万を毎回寄付してきました。このようにこれまで多くの支援をあちこちでしてきた。そんな中、自分達でも独自で自立支援できる方法があれば大使館の方に教えて欲しい。

野村二等書記官
私達はあちこちで情報を摂取しているわけでないので分らない。ジャパンハートさんに聞いていただいたほうが・・・

武田先生
豊友会からの依頼でジャパンハートさんの協力体制でこれまで4回の無料移動歯科診療支援が出来た。 またそんな縁からマンダレーの歯科大学学長と友好を深め学校見学もしてきました。医療技術のハードな面では20年遅れている。ワチェでも出来る限り治療してまいりました。 いつか吉岡先生の医療システムがどこかに取られていくか、持って行かれるか心配する。
またヤンゴン大学経由なのでマンダレーにはいい人材は来ない。日本の企業がミャンマーから出て行って中国韓国が台頭してきていることに危惧している。 (韓国はテレビドラマから)

野村二等書記官
日本ではミャンマーに対する国民感情がよくない。よって商工会議所レベルの出社件数も52社〜26社と減っている。いる時に使いたいといっても物はないし利益も出せない。各社バングラデェシュに鞍替えしている。韓国はテレビドラマで印象をつけ、企業進出を図っている。中国は電力事業関係で上手く取り入って抵抗が少なくなっている。 しかし日本企業も表に出てこないのであって中小零細企業が増えてきているのではなかろうか?在留邦人は200名といわれているが300名くらいいるとのこと。歯科医師の方も出店したいと在留邦人会に相談に来ているとのこと。

武田先生
現地の人の話として戦時中日本人は22万人もこの国に来てくれた。しかし今は400人と残念がっている人もいます。

近藤会長
NPOで直接この国で事業はできませんか?

野村二等書記官
許可を取るのに最低2年かかります。ミャンマーの政府としては覚書をとり何年間で何万ドルの仕事をしているという事由がなければその中で2003年から活動している。しきしみの会が成功している。しかし日本人柴田さんが帰ってこないと動きが鈍い。

近藤会長
JICAタンボジの訓練校では10年間で57名の卒業生を出し今も16名勉強しているところもあります。職業訓練校を作るとすると大使館関係、財務省、外務省のどの部分の国の予算をいただくことができますか?

野村二等書記官
これまで6団体が該当し、アムダ、BAJA,セイブザチルドレン、ジャパンハート、?難民を助ける人、地球市民の会などがあります。ランニングコストはどの会も出ません。
水谷緑
JAICAが行っている農業技術指導があるが・・

野村二等書記官
毎年4月〜翌年1月で予算執行している。、年度越えの予算執行は出来ない。助成金額によって執行はまちまちである。国が予算立てするにあたっては、過去の実績に基づき少ないところには、それなりの助成となる。計画を立てて、実行していくに当たって少し足らない場合という予算の時には、出すことがある。2008年のサイクロンで障害者対策で活動していた(?難民を助ける人)には、2000万円出している。サイクロンのあと乾季に修復事業するための実施団体に支援したのは、13億円で上下水道に使用している。ユニセフ経由で日本からの援助が出ておりその現場には日の丸のマークが入っている。 ユニセフには5人のスタッフがいて保険、教育などの担当者に別れいて保険事業が予算取りが上手い。 年間に100件の申請が出されても、30件くらいの案件しか見ることができず本当に実行するところしか出ない。遠隔地の場所は援助しにくく見えるところの地域でしか出来ないのが現状である。

水谷緑
タンボジの農業試験所でEM菌を使った栽培などこれらに携わった青年達が農林省などに入って活躍していることは喜ばしい。

野村二等書記官
色々と出てきた事業でも、あまり活動ができにくくなった状態になると、お金が出にくくなる。

近藤会長
最後に我々がこのミャンマーにNPOとして何ができ、必要とされてる部分に自立支援をしたいとすればどうすればいいか?基本的にはこれまで実施しているところに助成をするしかない。
経験を積んで申請し続け、2年3年かかってもミャンマー政府に認可もらうまでは。
どうもいろいろと貴重なご意見ありがとうございました。

福島 義信
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

北タゴンの孤児院建設現場視察とジャパンハート・スタッフの方の講話を聞いて
島田 綾子

 ミャンマースタディーツアー最終日に訪れた北タゴンのジャパンハートの孤児院建設現場。
ヤンゴン中心部からバスに揺られること約40分。舗装されていない凸凹道をヤギがバスを先導してくれる、のどかな場所。そんな田畑の中に、その建設途中の孤児院はありました。

 建設現場の前に積まれた赤いレンガブロック(中には半分崩れているレンガブロックも。耐震は大丈夫?とちょっぴり不安に…。)そして、水たまりに板を渡したぬかるんだ入り口。壁や天井を塗り、窓枠を削り…建設現場では、まだまだ作業中でした。

 対応していただいたジャパンハートの河野朋子さんと礒辺陽子さんによれば、既に建設完成予定(訪問日は10月29日)、そして11月には子どもたちの受け入れ…ということでしたが、「そこはミャンマー時間で、まだ…(苦笑)。」とのことでした。
 入り口を入ると、すぐに「昼間は机を置いて勉強をし、夜は子どもたちの寝る場所になる」という広いスペース。そして、その部屋の隣には、食事をする場所。その奥には、エアコンを入れて事務員さんたちが仕事をできるようにする、という校長室。そして、その隣には、食事等を作る方が休憩できる場所や保健室等の三つに区切られた部屋。部屋…と言っても、「区切られたスペース」といった感じ。
 
 この孤児院は土地代1エーカー650万円。平屋約70坪の建物・建設費540万円。男女の児童収容施設ですが、今後、1000人の受け入れ拡大を検討。(別に、この施設から車で20〜30分程行ったところに8.5エーカー1800万円の土地も確保。)
 孤児の収容と、教育指導を行う寺子屋、そして、将来的には職業訓練の学校建設も視野に入れているそうです。土地はジャパンハートの信頼できる現地ミャンマー人スタッフの名義で購入。ジャパンハートは賃貸料としての支払いをしている、とのこと。「信頼できる現地スタッフ」選定はやはり慎重に行い、1名ではなく、複数名の名義で購入するようにしている、とのことでした。


 北タゴンのこの建設途中の施設は、ジャパンハートの『Dream Train』というプロジェクトの孤児院です。
 今、ミャンマーでは、中国やタイに近いシャン州の人身売買・児童売春ブローカーによる児童売春の低年齢化が問題になっているとのことです。ジャパンハートでは、エイズで親を亡くした子どもたちの保護・育成を目的にこのプロジェクトをスタートしたとのことですが、礒部さんをはじめスタッフの方が現地に行き実態調査をしたところ、親がいても貧困により子どもを売ったり預けたりするケースも多く、エイズで親を亡くした子どもたちの保護だけでなく、人身売買阻止、そして村人へのHIV感染予防の教育に力を入れているとのことでした。
 ミャンマーの軍事政権による諸外国からの経済制裁。貧困。出稼ぎ・売春。エイズ。貧困家庭での子どもの口減らし。…悲しい負の連鎖。
 児童売春の対象は「10歳くらいから…」らしいのですが、更に今は低年齢化しているとのことで、人身売買ブローカーは親に「飛行機代だけ払ってくれたら、子どもたちを満足に食べさせてあげるし、教育も受けさせてあげる。」と言葉巧みに親の「子を思う気持ち」を利用し、子どもたちを人身売買ブローカーに預けさせてしまう、とのことでした。

 ミャンマーの公務員の給料は月40,000〜50,000チャット。月10,000チャットあれば生活に困らない、という国ミャンマーで、貧困家庭の親は子の未来を案じ、我が子を人に託し、そしてその子どもたちの消息がわからなくなっている…という悲しい現実。5〜6歳で預けられ、奴隷のように働かされ、年頃になれば風俗店に売られ、HIV感染したら捨てられる…そんな子どもたちが一人でもいなくなるように…ジャパンハートでは、人身売買ブローカーが近づく前に手を打ち、シャン州から遠く離れたヤンゴンで子どもたちを保護・教育していきたい、と活動されています。

 この北タゴンの孤児院では寺子屋施設としても機能させ、子どもたちに「教育」を提供していきたいとのことでしたが、ミャンマーの寺子屋事情としては、やはりその「指導者」によって、大きく指導方針がかわってしまうとのこと。指導者が「読み書きできればいい」という寺子屋もあれば、「能力がある子どもには大学にいく機会を」という所も。また、宗教的な点では、この北タゴンの孤児院で受け入れる予定の子どもたちの多くはシャン州の出身ですが、「シャン州ではキリスト教徒が多いため、今後、日曜日には教会にいけるようなサポート体制をつくってあげたい、そして寺子屋で仏教精神も教えていきたい。」と河野さん。
 河野さん自身、既に幾つかの寺子屋をまわり、南オカラッパの「ある寺子屋」を目標にしていきたいと、熱く語ってくださいました。やはり、良き指導者との出会いは子どもたちにとって、彼らの人生を左右するとても大切なこと。子どもたちに良き出会いが訪れますように…。


 私は、この旅で2箇所の孤児院を訪問させていただく機会を頂きました。
1箇所目はドーピンの男性の僧侶を指導者とする、男の子のみ約1,050人収容している孤児院。そして、ウイッタカの女性の僧侶を指導者とする、小学校を併設する女の子のみの孤児院(孤児院としては約70名でしょうか?)両方の孤児院の訪問で感じたことは、まず、ミャンマーの子どもたちの「礼儀正しさ」でした。

 日本では『小1プロブレム』が問題になり、授業中に立ち歩いたり、先生の話を聞かなかったり、「我慢ができない」小学1年生への対応が問題に。前職で実際に公立小学校を訪問し、1年生の授業を見学したことがありましたが、やはり「落ち着きのなさ」等が見られることもありました。が、今回訪問した孤児院では、子どもたちは礼儀正しく座り、静かにするところは静かに、そしてきちんと話しを聞き、僧侶の言葉に合わせて合唱していました。「3〜4歳かな?小さい子たちがいるんだな。」と思っていましたが、実は、5〜6歳だったり、ミャンマーの子どもたちは実際の年齢の発育より、日本の子どもたちに比べて少し体が小さめな気がしました。それでも子どもたちは、とても礼儀正しく、訪問者や僧侶の話を聞いていました。本当に感動です。

 また、ウイッタカの孤児院では、寄贈する英語表記のある絵カード教材を使って活動例を示す…ということで、年齢も様々な子どもたちに「野菜」の絵カードを使用した英語活動を行いました。ウイッタカの孤児院の子どもたちは、ミャンマー語もできない子もいる…ということでしたが、ガイドのニトウェーさんがミャンマー語に訳して下さり、英語とミャンマー語を入れた活動を行いました。一通り、「野菜」の単語を英語で発音する練習をした後、”What’s missing?/Mystery bag”の活動や、少し年齢が高めな尼僧の子どもたちと野菜絵カードを使用したカルタ活動を行いましたが、子どもたちはとても真剣に、そして活動を楽しんでいるように見えたので、正直、ホッとしました。
 短い時間でしたが、この英語活動との出会いで、英語を楽しいと思い、これから英語に限らず「学ぶ姿勢」・「学ぶ機会」が増えていってくれたら…と願わずにはいられません。

 この北タゴンの孤児院はまだ建設途中で、建物もできていなければ子どもたちもまだいません。ですが、今まで見てきたミャンマーの孤児院の子どもたちの姿が重なり、この施設にくる子どもたちの背景を思うと、この孤児院・寺子屋で、子どもたちが知識や教養、技術を見につけ、明るい未来を手にしてほしいと、切に願います。


 また、この孤児院建設だけでなく、ジャパンハートが力を入れている視覚障害者支援の「ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンター」についても河野さんが教えてくださいました。
 マッサージトレーニングセンターでは、視覚障害を持つ方に「あんま技術」の研修を行っているとのこと。一クラス約12名。日本の「あんま指導」の学校では技術指導面を考慮し定員は8名のことですが、「もっと定員を増やして欲しい」との声に折り合いをつけ、このトレーニングセンターでは一クラス12名に指導を行っているとのことでした。一日5時間レッスン。技術指導の専門家と補助の方でレッスンを進めているそうです。

 現在、マッサージトレーニングセンターで中心に指導されているのは、若い日本人男性で、医療マッサージ指導の専門家の方。驚いたのは、この方は全盲だということでした。この男性は、日本で5年間程盲学校で教え、その後、アメリカの教育学部で教育について学んだ後、卒業してミャンマーへ渡ったとのことでした。すごい行動力です。
 そして、一緒に指導されている講師の方は、ミャンマー人の女性の方で、日本で「あんま指圧マッサージ」の国家資格を取得したという行動派。また、この女性の方も全盲とのことでした。視覚障害を乗り越えて活躍されるお二人に脱帽です。そして、この話には続きがありまして…河野さんがこのお二人を引き合わせた、とのことでしたが、このお二人は結婚されたそうです。出会いはどこにあるか、本当にわかりません…。

 現在、マッサージ指導の先生方はあくまでもボランティアで、「謝金+住居」の支給があるそうですが、2〜3年後には日本並の給与の支払いを目指しているそうです。継続的な講師の確保、というのがやはり課題のようです。(あと、やはり、視覚障害を持った方が、ミャンマーで自立し生活していく点では、道路の舗装状態をみても、なかなか大変のようです。)
また、河野さんによれば、現在は「あんま技術」指導のみですが、やはり視覚障害の方の中にも「あんま」に向く人・向かない人、「あんま」が好きな人・好きでない人、といらっしゃるので、視覚障害があってもできる他の技術の習得支援ができれば…と語ってくださいました。
河野さんの名詞には、日本語&英語はもちろん、点字表記もされていました。使命感をもって活動されている河野さん・礒部さんは、とても凛とされていて、本当に出会えてよかったと思う素敵なお二人でした。


最後に…
 この同じ時代に、私はたまたま、日本で生まれました。そして、ミャンマーの子どもたちはミャンマーに生まれました。私も…もしミャンマーのシャン州に生まれていたら…恐らく、人身売買ブローカーに売り飛ばされて働かされていたのでは?と思わずにはいられません。
 私は家が田舎の兼業農家で、長女として年が離れた弟や妹の世話をし、そして幼少時代NHKドラマ「おしん」を見て育ちました。「おしん」を見ていたときは、「時代が違えば、私も奉公に出されていた…」と真剣に思っていました。今の時代の日本に生まれて、本当に幸運に思います。

 ジャパンハートの方から頂いたDream Train 11月に来る子どもたち”と紹介されているページがあります。そのページの『子どもたちの一言メッセージ』のほとんどには「学校に行って○○になりたい。」という夢と「お腹いっぱいご飯が食べたい。」と記されています。
(中には「勉強は嫌いだから手に職をつけたい。」という正直な子もおりますが…。笑)
「学校に行くこと」・「手に職をつけること」・「お腹いっぱい食べること」、そんな彼らの願いが叶うことを信じて…。そして、彼らの「これから」に「良き出会い」と「良き機会」が訪れることを切に願います。

 最後になりますが、このミャンマー・スタディツアーに参加させていただきありがとうございました。このスタディ・ツアーに参加された全ての方、そして講話を頂いた方々、ガイドの方々に深くお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

この「良き出会い」が、更なる「良き出会い」へと続きますように…。
ありがとうございました。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

ミャンマースタディーツアー感想文
『私の思ったこと』
森 治男


この度は、『NPO日本ミャンマー豊友会』事務局 大木さんからのお誘いを受けてB班でミャンマースタディーツアー参加しました。
 飛行機に弱い私が4度目の海外旅行でした。
 今年1月〜2月にかけてパラグア日系人農協をアルゼンチン・ペルーへの長時間飛行にずいぶん迷った時、大学の先輩から60才を過ぎて誘いを断ったら以後。誘ってもらえないから断固行くべしと言われ行くことを決断して以来、可能なかぎりでかけることにしています。
 『NPO日本ミャンマー豊友会』の豊友会は、豊川に事務局があるので豊友会と言うのだと思っていましたが『豊友会』自体は、全国的な異業種交流会との事で前向きで、マジメな若い経営者が多く私は珍しく団長の近藤さんに次ぐ年長者であった。多くの若い人とのふれあいの旅はとても楽しいものであったが逆に若い人に違和感を与えた部分があったら御許し頂きたい。ただインレー湖での船旅の前、少々風邪気味かと思っていたのが船の先頭に座って風をまともにあびた結果、完全に風邪を引いてしまい、親切に水谷さんから色々な薬をいただき、すっかり睡魔におそわれ27日のインレー湖以来眠りぱなしで合った事を心苦しい気持ちです。日本に帰国とともに風邪はすっかり治ったようです。
 29日までミャンマーに滞在された方の報告を読んで私もA班で最後の行事まで参加すれば良かったと感じています。(バンコクに16年間生活する家内の姉夫婦がいますので久しぶりにバンコクへと思ったのですが)
 私の今回のツアーの感想としては、先ず『大したもんだ日本人』と言う事です。(大海に浮かぶ点のようなものかもしれませんが) そして指導者がダメだと本当に国民は苦労するし、犠牲を被るという事を思った。
 私は、今年、南米へ出かけた時『まじめな働き者のこと』を『日本のよう』と言うと聞かされました。(ちなみに中国人、韓国人のことを『狩猟民族のよう』
(つまり自分の利益のみに走る)との評価を聞いた。
  又私達は毎年テーマを設定して中国各地へスタディーツアーをしていました。(教育、食料、民族、環境、日系企業等々の問題をテーマとして)
 中国自治区「内モンゴル」には砂漠化とかした広大なる土地で植樹に取組む日本人達が多くいます。(元さきがけも代議士だった高見氏からもその動機を聞いたことがあります。)
 今回もミャンマーの山林の中で、地方の貧しい人の中で農業、医療、孤児の支援、教育活動に働く多くの日本ボランティア の皆さんがおられました。
こういった日本人ボランティアは、アフリカ、中近東、アジア、中南米と世界中の低開発国にいる。
ミャンマーでもこう言う多くの日本人を知り『本当にたいしたものだ日本人』と強く感じたものです。
最上の中国の進出の仕方(軍事独裁政権の国を狙い撃ちの様に独占的に進出する)をみていると日本も国としてきちっと情報を把握し、日本らしいきめ細かな支援活動が求められると感じた。負けるな日本です。
今回一週間程の初のミャンマー訪問ですので細部にわたる問題点など勿論できませんが、このさい私の今まで思って来た事を少しここで述べて結論とします。
私はかつて松下電器の技術者出身で環境活動家である高木善之氏を何度か私の主催する講演会にお呼びした事があります。
高木さんは、『人口爆発』と言う講演で次のように言われました。多くの人が発展途上国ヘ慰問に行ったり、学校を作ったりしに行きます。それは多くの場合その人自身の思い上がリ、自己満足にすぎない場合が多いと発言されました。学校でアジアの人達が何を学びアジアにボランティアに来る日本人を見て何を感じているかまで知るべきだというのです。「現地の習慣、自然を大切に」が基本です。
現地の人は日本人を羨ましく思い、学校では日本に学ぼうと教えられ、どんどん自然破壊、人口爆発が起こっていると言うのです。いいつもりのボランティアや慰問が全くマイナスに成っていると高木さんは言うのです。「いい事をしている」と思うと人は、謙虚さを忘れ、傲慢になることが多いと思います。(その辺は現地に長く滞在する日本人ドクター、八幡さんなどに現実をお聞きしたいものです。)現場が一番です。
近藤会長が職業訓練センターのことを繰返し述べていましたが是非、最初からお金を掛けるのではなく慎重に進めて行かれたらどうかな、など思ったりしています。(いらぬ御節介恐縮です。)
こちらは、善意でも相手がどう思っているかどんな人物か見極める事、難しいけど大切なところでしょう。(日本は多くのODA予算を本当に無駄に海外にばら撒いて来ました。)
民主党政府の子供手当で益々日本人の自立心を失わしている事と同じ様にならない様にと切に願っています。
最後にザガインヒルの日本人慰霊塔で般若心経を唱えさせて、もらえたのが今回の旅の中で本当に嬉しい事がでした。
馬鹿な指導者に率いられた幾万もの犠牲者が出たインパール作戦。
今の日本の政府指導者も同様な感を抱いております。
ある歴史学者が“日本国民は、歴史を学ばない国民”と言っていました。
是非、これからも海外に出て、いろいろ貪欲に学び多くの人に学びを伝えて行きたいと強く念願しています。9日間の長きにわたり本当に親切にお世話いただいた近藤さん大木さんはじめ若き有望なる経営者の皆さん、有難うございます。
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第7回ミャンマースタデイ-ツアーの感想文

 拝啓、スタディツアーに参加されました皆様

 本格的な冬の到来に、風邪などを引かれてはおられませんでしょうか?
 ・・は風邪を引かないそうで、私はげんきにやっております。
 ところで皆さん、先日は南方ミャンマーへのご同行ありがとうございました。
大変気さくな方々での渡緬で楽しい旅行をさせて頂きました。
 がっ、正直18回目? 見慣れた景色が広がり、ちょっと前にお世話になっていた町内会に「あー、まぁーたぁ来ちゃった!」って感じで感動の感想が書けない私が、なんとも哀しく残念であります。
 何度お邪魔しても、嫌な応対や印象を受けない(慣れちゃっただけ?)というのはいいですね。
 天然資源に恵まれ、外貨準備高も増えているそうで、このままいい感じで緩やかな民主化が進み民族紛争もいい感じで収まっていってくれることを祈るのみです。
 今後、発展してゆくことは間違いないところではありますが、私たちが現実に叶えられていない願望をミャンマーに望む時、どのように関与してゆくか?ですね。
 地の利も資源もある中で、物資の援助という問題ではなく、今後の発展が、中国の覇権主義とどう向き合ってゆけるか?と言う問題と、お人好しで微妙に自分勝手でしかも耐え忍ぶ国民性ゆえに、搾取にあい易いやすく、しかもそれを素直に受け入れてしまう困った流れを防いで行かないと、どれだけ国が発展しようとも、一般労働者への搾取対策をしなければ、物資の豊かさは手にして頂けそうにないと感じます。
 個人的には、輪廻転生を信じ、施しの習慣や人々の祈りの姿や穏やかな仏教の教えに委ねられる日々が、今後物質が抱負に流れ込み、また中国共産思想の侵食によって壊れてゆくのも切ないので、目を背けたい気持ちもあります。
 こちらから何かを持ち込む事ではなく、かつての日本が古来の素晴らしいものを失って来てしまったように、ミャンマーの人達が次なるものを求めるゆえに、気付かず簡単に捨ててしまいそうな、今ある習慣や文化が失われないような活動や援助がしてゆけるといいのでは?と思います。
 皆様、年の瀬の慌しさと、まだまだ寒さも厳しさを増しそうですし 事故に健康に充分気を付けてお過ごし下さい。
                                                                   敬  具

山田 克彦
                           
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